県南ゼミ佐藤の経歴・青春編1 | 県南ゼミ佐藤のブログ

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県南ゼミ設立前の経歴・平成8年からのお話

人生最高の日


私はよく塾生に「人生最高の日はいつだ?」と聞くのですが、私の人生最高の日は中学3年生の春の日でした。いまだにあの日を超える日がありません。というわけで(どういうわけだ!)本日より私の経歴・青春編を始めます。昭和61年までタイムスリップします。中学生なので自分のことを「僕」と書きますことをお許し下さい。面白いかどうかは…わかりません!



中学時代の柔道の話です。埼玉県川越市の柔道大会。登場人物は皆中学生。



~登場人物~

・正岡(大東中)

・こっちゃん(同じ中学)

・じゅんちゃん(同じ中学)

・吉本(南古谷中)

・長浜(野田中)



僕らの学校の柔道部は監督が柔道未経験だったんですが、たまたま一年上の先輩が強くて、県大会で上位を争っていました。さらに僕らの学年ではこっちゃんとじゅんちゃんも強くて、たまたま本当にこのニ学年だけ強かったんです。こっちゃんは特に強くて埼玉県No.1でした。僕はというと小学生から柔道をやってはいたもののこの中ではだいぶ弱かったです。



先輩たちが素晴らしい成績を残して引退し、こっちゃんを中心に僕らの学年も期待は高まりました。団体戦ではこっちゃんとじゅんちゃんが超攻撃型柔道で勝ち、あとは守ればいいのです。



キャプテンを決める時、皆で投票にしたんですがなんとこっちゃんと僕が同数になり、もう一回投票したら僕が選ばれてしまいました。僕は後輩とよくタワムれていたので後輩票が集まってしまったのです。しかし僕は嫌でした。一番強くないのにキャプテンをやるのは誰だって嫌です。先輩たちにも散々言われました。

「なんでお前がキャプテンなの?」

言われる度にA型の僕は傷つきました。



キャプテンになってすぐ、新人戦がありました。中2の秋。ここで僕は大東中の正岡に負けました。この頃、川越市の学校は強い学校が多くて県大会に行っても上位で川越同士が当たっていました。正岡は大東中のエースでした(大東中は県で3位)。

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その後僕は中2の冬に黒帯になり、自信をつけて中3の春を迎えました。毎朝5キロ走って夕方3時間練習していました。



中3春の川越市大会。これは特別です。全国大会につながっているから。こっちゃんは個人で全国を狙っています。団体戦でも勝ちたい。大会は団体戦から行われました。



予選で大東中と当たってしまい、またも僕の相手は正岡でした。正岡は反射神経がいいやつで何をしてくるか分からないタイプです。僕は自信を持って大外刈りをかけたんですが、返されて負けてしまいました。チームも負けました。



翌日、個人戦。トーナメント表を見るとまたしても正岡のブロックに入ってしまいました。自信ゼロ。個人戦はここで終わりと思いました。(勝負師としてこれではいけません)


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準々決勝で正岡と当たりました。何かすると正岡はスキを突いてくる。だから何も考えていませんでした。すると試合開始と同時にじゅんちゃんが叫びました。




「攻めろー!!!」




あっそうだ攻めなきゃ!と思い、僕はただ前に出ました。ダーッと。そして体落としをかけました。




一瞬、正岡は後退しました。




じゅんちゃんは叫び続けました。




「かけろかけろ!!」




じゅんちゃんに言われるがまま後退する正岡を追いかけ、足を掛けました。




大外刈り…




なんと正岡はそのままの勢いで大きく向こうに飛んで行きました。




審判を見ると、手が真上に上がっていました。




「一本!!それまで」




僕は正岡に勝ったのでした。



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試合後、正岡は監督に怒られていました。僕は、じゅんちゃんはじめ自分の学校、さらに他の学校の連中にも祝福を受けました。そして準決勝で吉本に負け、優勝は吉本を破った長浜でした。




この時14才、今49才。正岡に勝った時以上の喜びに出会えていません。




続く