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「私、泳げないのっ」
繰り返したソヒョンの顔は
なぜか真っ赤で
「あー・・なんだ、
言ってくれればいいのに」
「だって・・できない事があるのは
知られたくないっていうか」
そうだった。
彼女は負けず嫌いだった。
「わかった。じゃあ、上がる、」
「ホソクさん、ギリギリまで来て」
?
とりあえず、
プールサイドまで来ると
ゆっくり、近づいてきた彼女は
少し手前で腰を落として
その姿勢のまま、また前に進んで
右手で手すりを握ったと思ったら
裸足になったつま先をゆっくり
水の中に入れてきた。
・・・・。
ジーンズの裾を折って
水の中に入ったのは
くるぶしまでだったけど
それでも大きく息をついた。
「ソヒョナ、いいよ、無理しなくて。
俺も上がるから」
「絶対、手を離さないでね」
「え?・・うん、いや、え?入るの?」
離す事はないけど、
「絶対の絶対よ」
そもそも、無理しなくていいのに
なんで・・
でも、彼女の口は結ばれて
なにかしらの覚悟がみえたから
「・・OK。じゃあ、はい、おいで。
抱っこするから」
両手を伸ばしながら
ギリギリまで近づいた俺は
彼女の腰元に手を回した。
その俺の首元に
ぎゅっとしがみついた彼女に
・・・・。
とんでもないスピードで
愛しさが広がった。
「いい?入るよ」
「ん」
ゆっくり彼女の身体を
引き寄せる。
ちゃぷっと
彼女を受け入れた水が
柔らかい音をたてた。
正直、深さはない。
彼女が足をつけても
顔は出るし、問題はないんだろうけど
まだ緊張が抜けない彼女は
もう少し、抱っこしとく事にした。
少し、力が抜けた気がしたから
「ソヒョナ、たぶん、足つけても
顔、出るよ」
提案はしてみた。
「肩まで水とか無理」
「お風呂と一緒だよ」
「全然、違うよ」
「じゃあ、なんで、そんなに頑張るの?」
「・・昔、ホソクさんも怖い事、
頑張ってくれたでしょ」
怖い事?
「・・あの心霊スポットの駐車場」
あー・・そーいえば、そんな事、
「だから、私も頑張ってみようと
思って」
んー・・ん?
彼女の言葉の意図がわからないから
次の言葉を待つしかなかった。
「私、ホソクさんに守られたい訳じゃない。
ホソクさんがいてくれるから、私は
怖い事にも負けずにチャレンジできるって
証明したくて」
「・・・このタイミングで?」
「ちょうど、いいかなって」
ここまでタイミングが読めない事は
なかったけど
俺がいるから・・か
そうだった。
俺も、彼女が頑張ってるから
そう思って、乗り越えた時があった。
「それに」
?
「ホソクさんは・・手、
離さないって思えたし」
・・・・。
「逆だよ」
「え?」
「ソヒョナが俺に抱き着いてる
訳じゃないよ。俺が必死で
抱き着いてるの。ソヒョナに
どこにも行ってほしくなくて」
「・・どこにも、行かないよ」
「うん。わかってる。だって、」
少し浮力に慣れたのか
視線を合わせられるほどは
距離がとれた彼女が、
右手で俺の髪を撫でる。
揺れる水が乱反射させる光が
彼女の瞳にも映り込む。
そして、そこには俺もいた。
ソヒョナ、
もう、無理だよ。
彼女の濡れた毛先が
鎖骨に張りついていた。
自然と近づいた首元。
「んっ」
その白い皮膚を強めに吸うと
じわりと広がった赤い痕。
「もう、どこにも行かせない」
永遠に消えないように
同じように痕を残せるように
傍にいたいんだ。
