自分と異質の考え方を持つ人と話すと、
自分の考えを改めて再認識することができる。
似たもの同士で仲良くするのは自然だし、楽しいけれど、
思考を磨くという意味も含めて、色々な人と話すのは楽しい![]()
以前、私が弁護士を目指しているといったら、こんな風に言われたことがある。
彼「お金さえあれば、弁護士バッジ買って
適当に依頼者つかまえて仕事しちゃえばいいじゃん。
大金積めば、弁護士会だって買収できるぜ。バレない、バレない(笑)」
冗談と本音が交じった彼の意見に、面食らった私。
私「何言ってるのー!バカじゃないの!?
法律家目指してるのに違法行為するなんてあり得ないってば!」
彼「でも弁護士になりたいんだろ?だったら手段は関係ないじゃん。
バッジ盗んででも弁護士やれば?
弁護士になることがkennaにとっての本質なんじゃないの?」
彼の言っていることは、そもそも制度上無理な話。
弁護士バッジさえあれば、弁護士業を出来るわけではないから。(登録とか必要。)
もし出来たとしても、不正行為をしてまで、弁護士になりたいとは思わない。
彼の言っていることがオカシイのは、当たり前すぎて今更考えるほどのことでも無い。
でも、自分が当たり前として考えてきたことを更に深く突き詰めるキッカケになった。
彼の言った「本質」というキーワード。
「弁護士になりたい」
自分にとってコレが目標で、本質だったら、
確かに手段は多少選ばなくても弁護士になろうとするかもしれない。
でも、私がやりたいことの本質は、
「弁護士になること」
では無いんだなぁと改めて気づくキッカケになった。
きっと、私が求めているのは、お金では買えないもの。
努力の結果でしか得られないモノが欲しいんだと思う。
オリンピック選手にとっての「金メダルが欲しい」が、
「金メダルを買いたい」ワケじゃない、ということと同じ。
自分に対して、自分を誇れるようになるために、
努力をして、努力の結果を味わいたいんだと思う。
達成感とか充実感とか、そういうものを求めているのかもしれない。
それは試験に受かることだけじゃなくて、
弁護士としてイイ仕事をして社会の役に立つことも含めて。
よく、「なんでそんな大変な道を選んだの?偉いねぇー」って言われるけど、
きっと私は大変な思いをした分だけ、
返ってくる喜びや得られるモノが大きいと思っているから。
努力家とか勤勉というよりも、単に貪欲なんだと思う。
おバカな会話をしていても、ふとした瞬間に思考が深まることもある。
こういうコミュニケーションが、好きです![]()


