バイデンさんの大統領選討論会における言動は不安を抱かせるものだった。

 

バイデンさん個人に対しては、健康と長寿、幸せを祈るけれども、アメリカ大統領という激務につくのは厳しいだろう。水面下では、代替候補者の模索が始まっていると思う。

 

英語圏のツイッターを見ていて、日本で言う「老害」的なコメントがほとんどないことが印象的だった(探せばあるかもしれないけど、言論空間では支配的ではない)。

 

ここ数年の日本での「老害」という言葉の流行は、日本の知性の劣化、人間観のサブカル化を象徴する出来事だったと思う。

 

老害は存在しない。

 

人間は思春期にかけて学習して、その時急激に知識やスキルが上がり、そのあとはおおむねフラットになって、判断力などは上がるだろうが、晩年に急速に衰えるまでは能力を保つ。

 

日本であまりものを考えない人が「老害」という言葉を使うときは、このフラットなところにいる人を指しているようだ。

 

それ、老害じゃないから。

 

どうも、あるポジションにいる人が地位にしがみついたり、マウンティングすることを「老害」と言っているようだが、それだったら年齢は関係なく、20代でも老害はいるだろう。

 

フラットな部分はお互いさまで老害は存在しない。

 

一方、バイデンさんのように明らかに認知的衰えがある場合にも、気の毒で老害とは言わない。

 

つまり、いずれにせよ、老害は存在しない。

 

他人のことを老害と言っている人は、単に自分のテストステロンのマウンティング衝動に無自覚なだけだろう。

 

つまり、人間としてレベルが低いのである。

 

そのような人たちがメディアが重宝につかったり、ネットでばずったりする点に、日本の劣化を感じる。

 

バイデンさんのあの状態に対するアメリカの反応は、まだ人間的にまともだった。