後ほど配信する予定の #脳の教養塾 メンバーシップのみなさま向けへの「業務連絡」の中でもお話しているけれども、日本では、構造的、力学的に、メジャーであることには価値は必ずしもなく、むしろリスクがあるということが昨年から今年にかけて示されている。

 

エンタメ分野において「メジャー」だとされているものに対して、関心がない、好きではないという人が周囲では実は多い。なぜそのような人たちが可視化されないのかというと、地上波テレビが「数字」を追いかけるなかで、典型的日本人という幻想が振りまかれているからだ。

 

実際には、世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな価値観があるのに、これがメジャーだといったん共同幻想が成立すると、民放はもちろんNHKまで、そのような仕草に思考停止で従う。自分たちはメジャーだと油断している人たちのコンテンツはあっという間に劣化する。

 

結果として、「普通の日本人」の共同幻想の下、地上波テレビで幅をきかせる「メジャー」なコンテンツは、劣化して、ガラパゴスな国内市場でしか通用しなくなる。日本で暮らす限り、幻想としての「メジャー」から距離をおいている方が、質的には向上し、油断もしなくて精神の成長にもつながる。

 

追記。自分の感覚を大切にすること。これに尽きる。