週刊文春の編集長をつとめ、スクープを連発して「文春砲」という名称を世間に広めた新谷学さんとは、2年連続で御茶ノ水のワテラスで対談させていただいている。

@johashiguchi

の企画である。

 

週刊文春のスクープ路線については、いろいろな評価があると思う。新谷学さんがおっしゃっていたのは、人間をめぐるFACTに対する好奇心だということだった。一番大切にしているのは、実際にどうなのかという事実であって、それに対する評価ではないと。

 

文藝春秋のスクープといえば、立花隆さんによる田中角栄さんの金脈問題が頭にうかぶが、これも、新谷さんによれば実際に田中さんはどういう人なのかというfactへの肉薄がメディアとしては重要で、それを世間がどのように評価するかは別問題だという。

 

新谷学さんは、ご自身が週刊文春の編集長をしていた時のスクープでいちばん誇りに思うのは究極の公人である政治家についての報道だということだが、世間の反応はやはり芸能人に関するスクープの方が大きく、それは必ずしも新谷さんが望むところではないようだ。

 

「文春砲」の成り立ちが、このように、ある人物に対する評価を誘導することではなく、その人がどういう人なのかのfactに向かっているという新谷学さんの発言を、今日はご紹介した。文春けしからん、文春がんばれの両サイドの意見があると思うが、編集長をされた方はこのように考えている。

 

追記。このような仕事を、文学の総本山がやっているのが面白い。