意識研究が人間中心主義になってしまうのは、意識が外からはブラックボックスで伺いしれない以上仕方がない構造的な問題があるように思う。

 

サーモスタットにも意識があるというような汎神論も、理念的にはありうるがno brainerであることは言うまでもない。IAIの議論でSabine Hossenfelderが一部の理論物理学者は数学と実在を混同すると批判していたが同じことは一部の哲学者にも言える。

 

意識の人間中心主義を超えることは大切だが、その際、哲学的観念と現実を混同してはいけない。サーモスタットにも意識があるという観念を振り回すのは自由だが、それと現実は同一である保証はない。

 

数学や哲学を現実と混同することは避けなければならないうさぎの穴だろう。一方、意識研究における人間中心主義は脆弱だが、少なくとも現象学的現実には担保されている。

 

追記。うさぎの穴は至るところにある。