意識と知性の関係は興味深い。SfNでの昨日のクリストフ・コッホさんのトークを聞きながら、改めて両者の関係について考えた。IITからアプローチするかどうかによらず、今の人工知能はおそらく意識はない。だけど、知性はある(ように見える)。

 

一方、意識、とりわけアウェアネスは存在しても、表に出る顕在的な知性が観測されない状態は想像できるし実際にある。つまり、知性と意識は分離することができる。

 

一方、昨日のコッホさんのトークの中でも整理されていたように、生物を考えると意識と知性は相関しているように思われる。少なくとも典型的な状態においては。ペンローズは知性は意識を要求すると考えたが、少なくともそのカップリングのパラメータがありそうだ。

 

量子的超越と意識的超越には共通したパラメータ構造がある可能性がある。量子と知性、意識と知性は場合によってはdissociateするが、coupleした場合には強力になる。問題は知性と量子、意識のカップルの様相を記述するパラメータが何であるかだろう。

 

追記。ある一定の状況下では、知性と意識はdissociateできるということは、両者の間がイコールではないことを示す。このあたりの整理はとても重要だと思う。