(ワシントン時間の)今朝回答したNowVoiceのご質問は2つともとてもよかったのだけれども、そのうちの一つが、数学の番組でやっていたというんだけど、数学は人間が「発見」したものなのか、「発明」したものだということだった。これは面白い観点だと思う。

 

多くの人の実感としては、数学的「真理」というものは、人間がそれを「発見」する前から潜在的には存在していると思っていると思う。なによりも、物理法則という視点から見れば、人間がある数学のフォーマリズムを発見する前から、宇宙の自然はそれに従っていたということになる。

 

ただ、ナイーブに考えれば自明のようにも見えるユークリッド幾何学に対して、非ユークリッド幾何が「発見」ないしは「発明」されたように、数学のフォーマリズムは単一ではなくて、その複数性の中に、人間の認知構造に依存する自由を見ることもできるかもしれない。

 

しかし、その場合でも、人間の認知そのものが脳の神経活動によって起こっているという意味で、自然の一部であり、いわば客観的世界に「くりこみ」されていると考えれば、「発明」と「発見」は実は等価だという見方もできると思う。

 

夏目漱石の『夢十夜』の中で、運慶が彫刻をしていて、それは最初から彫像が埋まっていて、それを掘り起こしているだけだという場面があるが、たとえ数学が「発明」だとしても、それは最初から潜在的に埋まっていたフォーマリズムを意識化しているだけだという信仰は案外広く共有されているようだ。

 

追記。結局、人為も自然の一部であると考えれば対立は解消されるように思う。