これはしばらく前の「#街頭脳テレビ」で、原宿駅からPivot Extreme Scienceの収録スタジオまで歩いていく間に話したことだけれども、人生は、目の前のことに集中して、それで時間の流れを忘れるゾーンやフローに入って、そのことを後で思い出すのが良いのだと思う。

 

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』は、主人公がいろいろな人生の目的を追うけれども、それでは幸せになれないことに気づいて、何気ない日常の「今、ここ」の経験が人生のすべてであることを悟る物語だ。だから、「失われた時」なのであり、それを「求める」のである。

 

しかし、だからと言って、ずっと日常のことに意識の流れの中で注意を向けていればいいというのとも違う。座禅における瞑想のように、呼吸に心を向けろというのは一時のエクササイズとしてはいいけれども、それをずっとやっているとかえってモノカルチャーになってしまう。

 

むしろ、学びであれ、仕事であれ、遊びであれ、その時々に没入して、時間を忘れ、我を忘れ、フローやゾーンに入るのが良いのであって、その時、時間は失われる。むしろ失われて良いのである。それを、後から振り返ればいい。

 

「失われた時を求めて」の「時」は、あらかじめ失われることが予定されているというか、むしろ失われてよいのであって、その失われた時を後からふりかえってあの時はこうだった、ああだったとしみじみ想う時に、人は幸せを感じるのである。

 

追記。だから、結局、子どもの時のように目の前のことに夢中になるのが良いと思う。inner childを大切に。