NHKが、今年の紅白歌合戦にジャニーズ事務所のグループを基本的に出さないことを決めた。昨今の状況を考えればそんな流れになるだろうけれども、ぼくの中では引っかかりがある。

 

 確かに事務所の創業者の行為を考えて、そこにいる(ぼくは「所属」という言葉が好きではないので使わない)グループを出すことが現代の価値観からして許容されないということがあるだろう。

 

 しかし、本当のことを言えば、これまで紅白に毎年のように出ていた理由も、今後出なくなる理由も、できれば、その音楽や踊りを含めたパフォーマンスの質で判断されたのならば良かった。ジャニーズのグループのパフォーマンスについて、その芸術性やエンタメ性を正面から論ずる機会を持つことなく、創業者の不祥事でこのようなかたちで消えるのは残念に思う。これまでがジャニーズという実力以上の下駄を履いていたのだという論も、しばしば目にする。だったら、そのようなこともきちんと論じてほしかった。

 

 ぼくがこのようなことを書くのも、ジャニーズで活動してた、活動している人たちの何人かと話した時に、彼らが(当然のことだけど)芸術やエンタメの世界で何者かになりたい、何事かを成し遂げたいと願っていることを感じ取っていたからだ。それは、若者にとっては当然の夢だろう。だけど、それが思うに任せないこともあるようだった。これも、若者がしばしば直面することだろう。

 

 だったら、なおのこそ、最初から、これはいい、これはもう少し、これはダメ、とフェアな評価があるような社会だったら本来は良かった。もちろん、人によって意見が違ってもいい。何が真実なのかなんかはわからなくてもいい。だけど、少なくとも、ジャニーズだからと世間で言われているような下駄が履かされていて、そのことをみんなが薄々思っているというような状況があったとするならば、できれば避けたかった。

 

 実際、ジャニーズにいた人の中で、そのあたりのこと(自分の本当にやりたいこと、成し遂げたいことと、ジャニーズでやっていること、やらされていること、さらには自分の実力と世間の評価の乖離)に悩んでいる印象がある人は複数いた。そんな時、ぼくは一緒の現場にいて苦しいと感じることもあった。世の中がフェアでないと、持ち上げられる側も大変なのだ。

 

 ファンというのも良し悪しで、たしかに推しはありがたいだろうけれども、それがアーティストとしての成長の邪魔になるということもあるのだと思う。どんなにスターとして扱われていていても、自分で自分の価値はよくわかっているということもある。良心的な人こそそうだ。そして、この世界には良心的な人はみんなが思うよりも多い。もちろん、ジャニーズの中は、一人ひとりは良心的な人が多い。

 

 だからこそ、なおのこと、ジャニーズ事務所のこれまでの圧力や、それに対する忖度や、創業者の行為に伴うキャンセルは社会的事象だけれども、そのようなことからできるだけ離れて、彼らのパフォーマンスを、フラットかつフェアに見るべきだし、見るべきだったと思う。

 

 先に書いたように、意見は違っていて良い。コンセンサスなどなくてもいい。ここがいい、ここは今ひとつ、ここがダメ、ということをみんなが普通に言えるようにならないと、夢を見ている若者たちの心の根っこの部分は解決しないと思う。

 

 NHKは、なぜ今までジャニーズのグループを起用してきたのか?

 なぜ、これからは起用できないのか?

 

 その理由が、どちらにせよ、事務所の事情という外形的なものにとどまるのであれば、この国には、若いアーティストの魂を育てるフェアな見方が根本的に欠けていると思うしかない。

 

 アートも、パフォーマンスも、良心的な若者の心も、フェアなものの見方という「太陽」がないと育たないのだ。