今週の金曜の、午前4時からの日本対サモア戦が楽しみだ。ぼくはラグビーの試合では、ボールを持って走って、相手の選手につかまって、それでも倒れ込んで少しでも前に進もうとする、あの瞬間の動作がいちばん好きな気がする。

 

タックルされて、ピッチの上に倒れ込んで、それでも前に向いていて、ボールを抱えたまま、相手チームの選手にかこまれて、団子のように倒れ込む、あのラグビーの動作から受ける強い印象は何に由来するのだろう。

 

まるで、タックルしている相手チームの選手も、一つの「だんご」になってしまったような、そんなラグビーのプレイの身体性に、強く心を惹かれるのかもしれない。実際には志向性は真逆なのだけれども、その対立する意思がフルコンタクトスポーツで一体となっている。

 

伝説では、エリス少年がフットボールの試合中に夢中になって思わずボールをもって走り出したことが起源とされるラグビー。その志向性とのフルコンタクトが、敵、味方という区別を超えて芝生の上で展開する。試合終了前から、ラグビーの身体性はノーサイドなのだと思う。

 

追記あり。スポーツというのはひとつのメタファー。人生でも、ラグビーのプレイのような生き方ができたらいいなと思う。