今朝のNowVoiceで、人間が真理をつかもうとするのはなぜかというご質問があった。確かに、宇宙の究極の真理をつかもうとしても、日常生活に関係がないようには思う。しかし、生物としての生存ということを考えると結局役に立つ。

 

たとえば特殊、一般相対性理論のようなものを理解することで、人間は原子力やGPSを手に入れる。このことで人間の生存可能な空間が広がり、さまざまな状況に対する適応度もあがる。もちろん、そのことでリスクも増すが。

 

今、イーロン・マスクは火星に行こうとしている。このような進展は人間の生息可能領域を増やす。その前に地球を大切にという議論はもっともだが、その地球は、太陽の寿命などによりいつかは生息不可能になる。

 

科学技術の発展の究極の意味を問われれば、その一つは、地球や太陽系がダメになっても、なんらかの方法で時間や場所を移して生き延びる可能性を増やすということに尽きるのではないか。

 

一見科学技術のようなtangibleな成果と関係がないように見える哲学的な問いも同様で、人間の精神の強靭さを増すことに寄与する。もちろん、それに伴うリスクも増大するが、強靭さとリスクが縄のように絡み合って全体としては適応度が増す。

 

意識の科学も、その解明に向けた努力が人間の実在に対するメタ認知の高度化に寄与し、結果として人間の存在基盤を強固にすることに資すると考えられる。もちろん、探求者はそのようなことを必ずしも意識していないが、生物学的に説明しようとするとそうなる。

 

追記。もっとも、上のような適応における有利さも、真理の追究をしている人は特に意識していないように思われ、そこがまた純粋さとなっている。