デモで道路を使用するというような場合は許可を得る必要があるだろうけど、デモの参加自体に、自分が通う大学の許可が必要という考えは、世界の別の国々はともかく、この日本では比較的レアだと思う。

 

ましてや、「退学」処分にするというのは、たとえ何らかの注意をするにせよ、明らかに行き過ぎでしょう。愛知大学の方がどのような思考回路でこのような決定に至ったのか、心の底から不思議に思います。

 

 デモの具体的な表現の方法も、その評価をするのは評価者側の自由ですが、たとえ、一部の方から不適切な表現だと評価されても、そのことを含めて通常「表現の自由」で保護されると考えるのが現代における常識でしょう。

 

当該事例において、大学側の処分が、「退学」という重さを含めて、適切だとは法理上ただちに結論づけられないと考えます。場合によっては裁判所できちんと判断してもらうのがこの際いいのではないでしょうか。一方で、それでは学生たちの権利回復が遅れてしまうかもしれません。 

 

報道されているところのこの学生さんたちの政治的立場に特段の理解も共感もありませんが、そのことと、このようなケースでどのような処分が行われるべきか(そもそもその処分自体が行われるべきか)は全く別の問題です。

 

 このような事例においては、学問の府としての大学の矜持が問われるわけですが、現代の普遍的価値についての真正な理解がないように見える大学側の処分は、結果として、当該大学に対する評価を下げる結果になると私は懸念します。

 

愛知大学にも法学部があるわけだから、今回の退学処分が法的観点から見て妥当かどうかの判断は当然学内で行っているものと思う。もし今後訴訟などになった際は、裁判所で愛知大学の今回の判断が合法かどうか判断されるものと思う。

 

法的観点から離れても、一般に、大学は、人権などの普遍的価値について最高水準の理解を実践する場であるべきで、そうでない振る舞いをした場合には、学問の府としてのその大学の評価は当然低下するものと思う。