シラスの私のチャンネルのコンテンツの一つとして英語の素読をやっているけれども、このところ読んでいるジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』の短編、「土くれ」と「痛々しい事件」(どちらも仮放題)が凄まじすぎて、改めて天才小説家の才能に震撼している。

 

 

 

「土くれ」(Clay)は、タイトルを表す単語が文中には一度も出てこない。ただ、とてもいい人で独身のままのマリアが、かつて自分が世話をしたジョーの家で目隠しをして触ったものが、どうも庭から子どもがいたずらで持ってきた土くれらしかった。

 

ジョイスの『ダブリン市民』は、最後は『死者たち』で終わるけれども、『土くれ』で、マリアがさわる「土くれ」はおそらくは迫りくる死の象徴で、そのようなことがさりげなくモチーフとして挿入されているあたりがジョイスの凄まじさだと言える。

 

続く『痛々しい事件』は、A Painful Caseとある事件を報じた新聞の見出しからタイトルをとってきているけれども、考え深くしかし孤独な男が、コンサートで会った人妻と交流を深めながらも、その潔癖症から肝心なところで関係を拒絶してしまう物語である。

 

人妻を拒絶した男は、その女性が事故死したニュースに接する。どうやら会わなくなってしばらくして酒におぼれて生活が変わってしまったらしい。最初は堕落したと嫌悪感を懐いていた男性は、ほっとすると自分が関係を断ったことが、女性の死の原因ではないかと考え始める。

 

かつて女性と散歩しながら歩いた道を一人たどりながらいろいろ考えた男は、自分の狭量さゆえに、自分自身に対して、そして彼女に対しても、Lifeそのもの、そしてfeast of life(人生の祝祭)を拒絶して奪ってしまったということに思い至って、限りない孤独を感じる。

 

ジョイスの『ダブリン市民』の短編は、どれも、凄まじいまでに迫真の人間観察に基づいていて、あたかも顕微鏡の下に置かれたとうに人間の愚かさ、欠点、その一方での夢、希望が描かれる。

 

素読のポイントは、価値がある文章をテクストとして選ぶことだけれども、ジョイスの英文は素読の対象として卓越している。私自身も、シラスの塾生さんたちとテクストを丹念に読むうちに、多くの気づき、学びがある。『ダブリン市民』の素読もいよいよ残すところ4編。興味がある方はご参加ください。

 

追記。素読が成功する上でなによりも大切なのは、テクストの精選。ジェイムズ・ジョイスを、シラスのみなさまと読んで、ほんとうによかったなあと思っています。