日本が元気がない、と言われて久しいけれども、一つの問題は、みんなが「正解」に寄せていこうとしている点じゃないかと思う。その結果、多くの人が「にせもの」になっている。

 

古美術をやっているひとは、「ほんもの」と「にせもの」を、のびのびとしているかで見分けている。「ほんもの」はある意味天真爛漫で、自分のやりたいこと、表現したいことをやっている。一方、「にせもの」はお手本があって、それに合わせようとする。

 

つまり、「にせもの」はお手本のある優等生なのであって、だから、いきいきとした、天真爛漫なところがない。同化圧力の高い社会で、みんなが最大公約数という「正解」に寄せていくような優等生社会では、みんなが「にせもの」になる。それが今の日本。

 

他の人に関係なく、自分がいいと思うものを推していけばいい。ぼくが「国民的アイドル」とかいうのをキモいと思うのはその理由で、こういうグループ推しておけば正解っしょ、通りがいいでしょ、という発想自体が「にせもの」だと思う。

 

みんなでお互いの空気を読んで、こういうことを言っておけば無難でしょ、というようなゲームをやっているから、みんなが「にせもの」になる。世の中のことなんか知ったことじゃねえ、オレは、私は、これが好きなんだ、なんか文句あっか、という態度が「ほんもの」につながるし、日本を元気にする。

 

追記。日本人は、もっと、一人ひとり、本気になって、遠慮しないでやっていくことが大切だなあと思います。