ジャニーズ事務所のひとたちは、自分たちの人生を一生懸命生きてきたんだろうし、これからも生きていくんだろう。そのファンのひとたちも、自分たちが好きだと思っているアイドルを、推すことが自分たちの人生を一生懸命生きるということだと思っているんだろうし、これからも、ジャニーズ事務所をめぐる状況がどのようなことになるかわからないけれども、やっていったらいい。

 

でも、ぼくにはぼくの生き方があるし、ぼくが良いと思っているものがある。それはジャニーズのひとたちや、そのファンのひとたちが良いと思うものとは違う。もちろん、ぼくだけじゃない。この世に生きている人は、それぞれ、好きだと思うものがある。それは重なることもあるし、ときには矛盾したり、相容れないこともある。

 

それぞれ好きなものをおっかけていけばいい。世界はそれぞれのひとたちが好きだと思うものをおっかけることができるくらい、広い。だから、それぞれ好きにしたらいい。

 

ただ、NHKや、民放もそうだけど、「公共の電波」と言われるような場所で、ジャニーズのアイドルさんたちが、あたかもこの国のエンタメのスタンダードだというようなかたちで扱われるのは、これをきっかけにもうやめたらいい。音楽だって、踊りだって、演技だって、他にもがんばっているひとたちがたくさんいるのを知っている。そのようなひとたちが、ジャニーズのひとたち、あるいはそのファンのひとたちを、どのように見ていたかもぼくは何度も見聞きしている。

 

日本市場でのエンタメで、自分がよりよい人生を生きたいと思っているひとたちがいるし、そのファンのひとたちもいる。そのようなひとたちが、いわゆる「ジャニーズ的なもの」に対して、それがあまりにも支配的で、あたかも日本のエンタメはそれが中心だと思わせられてきたことに対して、今まで苦々しい思いをしてきていることも、ぼくは見聞きしている。

 

記者会見において、ジャニーズのアイドルがここまで支配的な地位を保ってきたことについて、事務所の圧力のようなものがあったのではないかと聞かれて、それを否定していたけれども、そのような答えを額面通り受け取るひとたちはそんなに多くないだろう。

 

ジャニーズ的なものの背後に、ジャニーさんがいたことを考えれば、事務所の名前がこのままで済むとは思えないし、ジャニーズ的なエンタメの価値がこのままであるとも思えない。ただ、冒頭に書いたように、自分が生きるということのベストのかたちがジャニーズ的なものだと思っているひとたちがそのような活動を続けることは別にかまわないし、そのファンのかたがたが推しを続けるのも別にいい。

 

ただ、世の中には他の価値観もたくさんあって、そのようなひとたちにも自分たちが生きたいような人生、味わいたいようなエンタメを追求する権利があるのだということも、当たり前だがこの際確認したい。そして、公共の電波をつかって事業をしているメディア各社、特に受信料で仕事をしているNHKは、日本のエンタメの全体の中で、ジャニーズ的なものがどのような位置を占めるのか、編成や番組作りをする上での自分たちの放送人としての価値観、矜持はどのようなものになるのか、この際徹底的に自省したらいいのではないかと思う。

 

ぼく自身は、ぼくの人生の中で大切にしたいものがある。それは、はっきり言って、ジャニーズ的なものからは遠い。これからも、自分の人生で価値があると思うものを追いかけていきたいし、良いと思うものは他の人にも伝えていきたい。

 

この世にいるそれぞれのひとたちが、それぞれ、異なる価値観を追求するための場所があってほしい。そのためには、日本のエンタメについて巷で言われているような、事務所の圧力とか、忖度とか、そのような不自然なことはなくして、自由闊達な競争が行われるような社会になって欲しいと思う。

 

日本の文化のさまざまな中で、ジャニーズ的なものがあってももちろんかまわない。しかし、そのメディアの中での位置は、今よりも小さなものにならざるを得ないと思う。それはジャニーズ的なものの衰退ということでは必ずしもないだろう。むしろ、日本の中に本来あったはずの多様性の回復である。

 

砂漠では、久しぶりの雨がふると、一斉に花が咲くことがある。今までの日本がジャニーズ砂漠だったとすれば、みんなの反省の涙の雨で、百花繚乱の多様な日本になればいい。