昨日、日本構想フォーラムが法政大学であった。作家で、島田雅彦法政大学教授がいろいろとお骨折りくださった。昼過ぎに会場の市ヶ谷の校舎に入っていくと、夏休みの週末だというのに、学生さんたちがいる。みんなあちらこちらで座って勉強したり、なにか話したりしている。

 

島田雅彦教授に、「休みなのに学生さんいるんだ」と言うと、「だって他に行くところないからなあ」と独特の口調でおっしゃっていたが、冷房も効いているし、快適だし、いろいろな設備も整っているし、大学が学生たちにとって大切な共有の場になっていることが伝わってきた。

 

今の時代、学術情報はgoogle scholarでもarXivでも手に入れられる。大学はその意味では必須ではない。しかし、大学にはコミュニティの機能があって、そこに行くと興味を共有する仲間に出会えるというのは他では代替できない機能である。

 

もちろん、ARやVR、メタバースなどの技術的チャレンジにおいて、物理的に大学に行かなくてもコミュニティの形成を目指すというのは良い。ただ、身体性や、いっしょにご飯を食べるといった脳腸相関を通した経験の共有は、やはり伝統的なフォーマットがいちばん効率が良い。

 

最近、高校生などの中に、「茂木さん、大学行かなくてもいいんすよね」などと言う人がいるが、話を聞くと「大学は無意味だ」というインフルエンサーの影響を受けている。しかし、そのインフルエンサー本人たちは、多くの場合大学に行っている。

 

逆に、大学に行く選択をしなかった、大学に行く機会がなかった方々は、大学という場にあこがれを抱いていたり、大学に行きたいと考えている方も多い。人間の欲望というのは大切で、大学に行きたいという欲望があるとするならば、そこには深い人生の機微がある。

 

大学でいちばんたのしいのは実は大学院で、自分の好きなテーマで研究し、論文をまとめる経験はなにものにも代えがたい。もちろん卒論でもある程度できるが、大学院の方がより深くできる。大学院に行くには、通常、大学卒業の資格がいるから、通信制でもいいから、卒業しておくと良い。

 

また、大学の教員は、それぞれの分野で「番を張っている」ひとたちである。それなりの学識と、考えてきた道筋と、何よりも気合(笑)がないとつとまらない。大学に行って、そのような人たちの姿を見て、師弟関係を結ぶのは悪いことではないと思う。

 

以上、学術情報がネットで手に入る時代に大学、大学院に行く意味について概観した。何よりも、大学で学びたいという欲望があるとするならば、そこには自分という人間の存在の底から突き動かされる何かがあるのだとメタ認知するのが人生を一歩前に進めると思う。

 

追記。今朝の連続ツイートでも補足しましたが、結局、人間の欲望がどこに向かうかということだと思う。学びたいという好奇心を中心に、さまざまな社会的な欲望で構成された大学に行きたい、良い大学に行きたいという人間の心の働きはそう簡単には消えない。