ここ数日、お隣の国中国との関係で困ったなあ、と思うことがある。そうは言っても、日本は引っ越すことはできないし、なんとか中国とつきあっていくしかない。そこで、中国とのつきあい方について、今朝は考察したい。

 

中国の文化の最大の特徴のひとつは、「面子」や「体面」を重視することだろう。歴史的事実や科学的エビデンスについて、たとえこちらの認識と違うことを中国政府が主張していとしても、それを指摘することで中国の態度が変わる可能性は低い。こちらの主張は維持しつつ、先方の主張はそのまま認識する

 

中国政府は、あの巨大な国を統治するという圧力にさらされていて、その際、自分たちの正統性を担保する重要なポイントとして、日本に対抗して自立をかちとったということがある。したがって、その正統性の根拠である歴史認識や、日本の過去に対する評価を変える可能性はほぼない。

 

中国政府は、その主張を変えたり、認識を改めたりすることはほぼ期待できないから、相手の面子や体面を尊重しつつ、日本は日本の主張を淡々と維持するのが一番ゲーム理論的に正しい。それ以上の感情的な反応をしても、事態が好転する可能性は低い。

 

中国政府としては、自分たちの統治の正統性を納得させるためにも、日本に対する批判はカードとして時々使いたい。ただ、今回の抗議電話の嵐のように、中国人の集団心理の制御が完全には行えないことがあって、それは中国政府にとってもリスクとして認識されているはずである。

 

中国からの抗議電話の殺到については当惑するだけだが、なにしろ人口が多く、母数が大きいので、その中の一定割合の人が極端な行動に出ただけでも、日本と比較してその事象としての数が増えるという事実に留意する必要がある。

 

中国政府の思想や態度が今後変わることはあまり期待できないが、一人ひとりの中国人は、建前としては中国政府の方針を指示しつつ、本音の部分では、よりよい人生を生きたいと思っているはずである。日本としては、対政府では自分たちの主張を淡々と維持しつつ、草の根の人間性にこそ接続すべきだろう

 

追記。ところで、当然のことだが、14億人もいるとその中には圧倒的な多様性がある。中国の中の、どのような「クラスター」 にアプローチしていくのかという議論は当然あってよいと思う。