個人にしても、国にしても、科学的エビデンスを無視する言動をするケースというのは後を絶たない。個人の場合は認知バイアスが関係しているのだろうし、国の場合は、加えて、政治的な側面があるのだろう。個人においても政治的な意図が意識、無意識のうちにあることもある。

 

科学は徹頭徹尾自分の立場を離れることだから、それができないで自分に固執する人や国には、科学的スタンスをとることはできない。もっとも、自分を離れられないというのは生物にとってはディフォルトで、科学的スタンスは進化の過程での新しい変種なのである。

 

科学的エビデンスとは異なる主張をする個人や国を見ると、なさけないとは思うけれども、それは生物としては先祖返りというかもともとはそうだったのだろうと思う。メタ認知や論理的な分析など、一定の訓練がないと、科学的スタンスをとらないのがむしろ普通である。

 

個人でも国でも、科学的スタンスをとらない、とれない人たちは、短期的には影響力を持つ場合もあるが、中長期的にはその意味は消えていく。なぜならば、自分の立場を離れられない人たちは、世界の客観的な運行には寄り添うことができないからである。

 

科学的スタンスをとれない個人や国にそのことを指摘しても、多くの場合無駄である。もちろん批判や論評は必要な場合もあるけれども、それよりも、因果的に運行しているこの世界の中での淘汰にまかせておけば、自然に解決することも多い。科学的スタンスに寄り添えない偏見や政治は、必ず敗れ消える。

 

追記:一人ひとりの生き方としては、科学に寄り添った方が中長期的に見れば必ず繁栄するし、世の中に付加価値も増やせる。科学に反するやり方は、一時的な影響力を持っても必ず消えていくし、またその人が一時的に繁栄したとしても、それは他人から奪うということになりかねない。