「人気」というのはなんなんだろうな、と時々考えることがある。どんなに立派なことを言っていても、人気はない人はいるし、おっちょこちょいでダメでも、人気がある人もいる。人間だけじゃなくてモノや文化でも同じことだ。

 

ぼくは個人的には地上波テレビは、NHKのニュースや一部の番組をのぞいて見ないけど(より正確に言うと、見る暇がない)、今朝のNowVoiceもそうだったけれども、時々、テレビがつまらないと文句をいう質問を受けたりする。その時に思うのは、テレビは人気の最大公約数だということだ。

 

ビデオリサーチのサンプリングが統計的にどうかという議論はあるけれども、地上波テレビの関係者と話すと視聴率を分刻みで見ていて、結局、今のテレビは、「人気」の最大公約数を表しているということになる。経済原理からして、そういうことだ。

 

だから、今の地上波テレビに文句がある人は(ぼくもそうだけど)、自分の「趣味」や「志向」が、世間の最大公約数とずれているということを自覚した方がいい(笑)。たとえばぼくが激推しのLex Fridmanのpodcastなど、日本国民の0.1%くらいしか興味持たないだろう。

 

ぼくが地上波テレビの編成をしたら、ゴールデンで、ヴァージニア・ウルフの「自分だけの部屋」の特集をしたり、ヴィトゲンシュタインが「論理哲学論考」を書いた山小屋を訪ねたり、Steve Reichのミニマル・ミュージックの特集をしたりするけど、そしたら視聴率が「ゼロ」に限りなく近くなる。

 

だから、今の日本の地上波テレビに文句がある人は、あれは今の日本の一般の方々の最大公約数だと正しく認識して、それからずれた趣味や志向を持つ自分をメタ認知し、同じ志向を持った人たちでこじんまりとクラスターをつくるか、世界に同好の士を求めるのが清く正しく美しい生き方だと思う。

 

追記 だからといって、大勢に迎合する必要はない。興味がないもの、嫌なものはそうはっきり言っていいと思う。そして大切なのは、たとえ大勢とはずれていたとしても、自分の好きなもの、良いと思うものを言い続けることだろう。