昨日、模試についてのツイートが流れてきてちょっと考えたんだけど、ぼくは、今の日本の入試制度を前提にした場合、受験生には模試を受けることを推奨している。それで自分が合格する確率がわかるし、努力の方向もわかるからである。

 

一方、模試のスコアというのは単なるひとつの基準による測定値に過ぎないから、それには大した意味がないとも思う。ほんとうに大切な領域(プロジェクト学習とか創造性とか)には計量がないというmetric blackholeの問題があるから、模試にこだわると本質を見失う。

 

あるmeasureは、それを目標にしてしまったときにもはや良いmeasureではないというGoodhartの法則もある。模試は、入試制度を前提にした上で、自分の実力、合格確率を判断するには役に立つけれども、そのスコアを自体を目標にしてしまうと、もはや意味がないことになる。

 

その上で、昨日話題になっていた方はそうではないようだけれども、ズルをして模試のスコアを良くするというのは意味がわからない。体重計にのるときになんとか数値を小さくしようとするようなもので、自分の今の状態を精確にとらえられなかったらそもそも測る必要がない。

 

結局、模試に限らず、ズルをして点数を良くしようとするのは、自分の現状を把握するという本来の趣旨よりも、そのスコアによって生まれる自分に対する社会的評価を偽装しようという動機である。自分をメタ認知することよりも評価を優先するようになると、人間の成長はとまってしまう。

 

昨日、「模試不正」というワードがバズっていたときに、「自分の現在の実力を知る」ことの方が「社会的な評価を偽装する」ことよりもよほど尊いし、成長にもつながるという正論があまりTLに見当たらなかったので、あえてこのようにして書かせていただく次第である。

 

追記 いい大人になっても、学生時代の模試の成績がどうだったとか言っているのは、みっともないからほどほどにしたほうがいいと思う。