人工知能(AI)がすでに達成してしまったことは、もはや人間の知性の本質とはみなされないという「AI効果」(AI effect)だけれども、ゴールポストを移してしまうことはずるいし、人類の心理的防御反応という側面もあると思うけど、一方で本質的な論点もあると思う。

 

なにかに習熟してそれが習慣化すると、無意識の領域に移るというのはベルクソンも指摘している人間の認知の特性だけれども、AIによって実現されたことは、人間で言えば無意識の領域に属することである。

 

発話行為は、典型的には意識の存在下で行われる。ChatGPTがチューリングテストに合格するくらいのレベルで言語生成できることは、おそらく意識がないことと考え合わせると、私たちの発話行為がほぼ無意識の中で行われているという知見と一致する。

 

誰かと会話しているとき、言葉の選択など、細かいことは無意識のプロセスで行われているのであって(またそうでないと流れがスムーズにいかない)、意識は、文脈設定や、思わず口をついて出てしまいそうになったことの阻止など、より高次な機能に関与している。

 

人間の意識が本質的にかかわる認知プロセスがもしあるとするならば、それは、より多くのことを人工知能がこなすようになってくる状況で、AI効果を通して排除された機能の余集合(補集合)として定義される。

 

この意味で、人工知能研究は、意識によって担われているわけではない脳の情報処理のモジュールを同定する上で役に立つ。AI効果は、意識に特有の認知プロセスをより精確に同定するための顕微鏡の役割を果たすのである。

 

追記:なぜ、人工知能の研究をするのか、という問題について、それが人間の知性の本質を映すための「鏡」であるからというのは、拙著『クオリアと人工意識』でも唱えた説です。加えて、意識の本質を映す鏡になるはずなのが「人工意識」ですが、こちらは、今のところ実現する見込みはないように思います。