昨日は、林真理子さん、太田光代さんとお話する機会があって、楽しかった。タイタンからは、このところ、太田光さん、そしてウェストランドのおふたりに私のやっているラジオ番組「ドリームハート」におこしいただいている。お二人をお見送りしたあと、夜の街を30分くらいぶらぶら歩いた。

 

このところ、昼間の東京は暑すぎでどうすることもできない。だから、夜の街を歩くのは、まだ昼間の熱が残ってはいるけれども、身体を動かす貴重な機会だ。ふだんは通らない裏通りを歩いていくと、やがて、目の前に地下鉄の駅がある夜光きらめくエリアが近づいてきた。

 

地下鉄に潜っていくとほっとするのは、冷房が効いていて涼しいからだ。それに、洞窟の中に入っていくということについての、おそらくは氷河期の頃から私たちの心や身体にしみついている原初的な感動もあるのだろう。

 

地下鉄の車両は当然座れなかったが、すみっこの方に立って、Eliezer YudkowskyのRationalityを読み始めた。Less Wrongブログに描かれたSequenceと呼ばれる一連の文章を集めたもの。夜遅く、よっぱらった頭で読むにはハードだけれども、移動中もそうしなくてはいけないという時代の圧迫感がある。

 

夏目漱石の『三四郎』で、主人公はずっと驚くべきスピードで変わっていく明治の日本の中で圧迫を感じている。私たちも今そんな時代の変化の中にある。生成AI革命から始まるうねりの中で、時代の圧迫の下での夜のよっぱらいの勉強時間は、洞窟の中を走る文明の車の中でポンコツに進んでいった。