昨日書いた、日本で昨今もてはやされている「論客」たちが、意地悪でちょっとひねくれたところから何か言ってかしこいふりをしている問題だけど、これは、日本以外のところでの素直で全員に満ちた知性のサンプルを知らないとなかなか理解できないことだと思う。

 

それで、日本での「知性」が盆栽化しているという事実から目を背けるためには、「そんな、海外のこととか知るかよ」とか、「日本には日本のやり方がある」みたいな感じになるのが簡単なソリューションで、それが、昨今の「マイルドヤンキー」的な態度とつながると日本ができあがる。

 

スタートアップ界隈を見ていると、マイルドヤンキーが多いというか、インテリジェンスという意味では盆栽だけれども、なんかやったるぜい、みたいな、テストステロン過多のケースが多い。新自由主義の雰囲気の中、日本はマイルドヤンキーの国になっている。

 

マイルドヤンキーの特徴は、地元を大切にするということで、その中で、「他の国のことなんか知るかよ日本には日本のやり方がある」となるのだけれども、その中の日本理解は感性的な空気ではあっても、深みや時間の長さがなかったりする。

 

テレビやラジオのような伝統的なメディアだけでなく、ユーチューブとかTikTokも、全体がマイルドヤンキー化しているので、知性の盆栽の中で、意地悪に適当な角度をつけた論客がもてはやされる。令和日本のあるあるの光景である。

 

メディアとしても、本格的な、善意とビジョンに満ちた、ほんもの知性の方を示しても受けないので、意地悪なマイルドヤンキーを起用し続けることになる。かくして、日本は、世界の流れとはちょっと違ったマイルドヤンキーの文化が再生産され、小さく前にならえでなんとかやっていくのである。