今朝のNowVoiceでもとりあげたのだけれども、自分が読む本は自分で決めるべきだと思う。ツイッター一つを読むのと違って、それだけ多くの時間、リソースを投入するんだから、そこで自分の世界線が分裂するのだと思って、自分の直感で決めるべきだ。

 

直近は、Eliezer YudkowskyがLess Wrongで書いていたSequenceと呼ばれる書き込みをまとめた本を読み始めているが、数多くの本の中からこれを選んだのは一つの賭けで、一方、Daniel KahnemanのThinking fast and slowは、ぼくはまだ実は読んでいない。

 

高校の頃からずっと課題だったダンテの『神曲』はやっと天国編に来たけれども、一方でプルーストの「失われたときを求めて」は英語訳で今2%のところまで来て停まっている。トルストイの『戦争と平和』もまだ読んでいない。そう考えるといろいろ積み残している。

 

何を読むかというのは、それで自分の世界線を分裂させる行為で、全く違った自分になってしまう。だから、真剣に慎重に選ぶべきであって、そのときえいやっと暗闇への跳躍をするのである。人任せにするのは良くないし、ましてや丸投げは良くない。

 

人に、「おすすめの本はなんですか?」と聞くのは、雑談の中の話題としてならばいいけれども、一般的には褒められた態度ではない。常に自分の感性のアンテナを張り巡らしておいて、次に読むべき本をキャッチするのが良い。

 

もっとも、他人との会話が読書のきっかけになることもある。10年くらい前、みんなの前で池上高志と話していて、「三島由紀夫の『豊饒の海』読んでいないやつは駄目だよな」と言うので、「そうだよな」と言って、その後1週間くらいで四部作を慌てて読んだことがある。あれはいいプロンプトだった。