昨日の続きだけれども、さまざまな学びの中で、独学にまさるものはないと思う。独学者(autodidacts)のリストを見ると、錚々たるメンツがいる。ヘッセ、アラウ、シェーンベルク、安藤忠雄、テスラ、ライト兄弟、マルクス、アインシュタイン、・・・・

 

 

 

良い学校に行くとか、良い先生に出会うというのももちろんいい。その時期は大いに吸収したらいい。しかし、人生はそういう学校とか先生とかがいない時期の方が圧倒的に長い。しかも、分野で言えば、そういう存在がない分野の方が莫大である。

 

今の日本の一部の小学生のように、中学受験のために塾に行って年間100万くらい課金して鍛えられるというライフプランが根本的に直感に反するのは、そこに「独学」の精神がないからである。また、いわゆる「経済格差」を温存する結果になるという点も見過ごせない。

 

独学の方法はいろいろあるけれども、「素読」は有力なやり方の一つだろう。習うよりも慣れろで、たとえば今「シラス」でやっているようにJames JoyceのDublinersを素読すればいい。最初はわからなくても、食らいついていれば、ターヘル・アナトミア的に次第にわかってくる。

 

独学の作法、精神さえ身につけば、一生続く宝物を得たのと同じである。良い学校、良い先生がいないと学べないという先入観があると、結局「今、ここ」ですぐに学ぶ機会を失う。良い学校、良い先生がいればそれにこしたことはないが、なくても、「今、ここ」で学び始めればいい。それが独学の精神だ。