日本はほんとうに便利な国だけれども、逆に言うと、人と人とが出会っていろいろ折衝する「人間の領域」が狭くなっているのかと思う。JFKからマンハッタンのホテルまでのタクシーで、カードの支払いの時にチップを何%にするかという三択ですでに人間の領域が始まった(笑)

 

アフリカ系と思われるその運転手さんと、特に話し込んだわけでも、親切にしてくださったわけでもないのだけれども、ホテルの前まで一方通行を完璧にルート選択して届けてくれたそのプロ技に対する敬意から、気の小さな私としては、一番高いチップの割合を選んで払った。

 

ホテルについてすぐに近くの公園を歩いて、そのそばにあったラーメン屋に入って、トンコツ味噌ラーメンとハイネケンを頼んだ。NYに留学してがんばっている気合の入った兄ちゃんと話して、出る時にみたら会計がおかしい気がするので、「あれっ」と聞いたら、「ビールはいいですよ」と言う。

 

その兄ちゃんと、「茂木さんですよね?」と言われたあとしばらくスタートアップの話とかしていたので、それでビールをおまけしてくれたらしいのだけれども、困ったなあと思って、カードの支払い(機械じゃなくて紙できた)の時、チップの欄にかなり多めに金額を書いて、後を振り返らないで出てきた。

 

ぼくの滞在しているホテルは、部屋にお湯沸かしがなくて、コーヒーは一階でいつでも入れてくれるとフロントの人に言われて、そのエリアはいい感じの机が並んでいていい感じの人たちがパソコン広げて仕事をしていたりする。さっきコーヒーコーナーにいったら、いい感じのおじさまが対応してくれた。

 

かなりちゃんとしたコーヒーとかエスプレッソ入れてくれて、「ミルクはいいのか? 砂糖はいいのか?」みたいに、ウディ・アレンの映画に出てくるイタリア系の文化的おじさん(当社イメージ)みたいなその人に、なんか悪いなと思って、手元にあってお札をこそこそあげたら「ありがとう」と言われた。

 

それで、また悩みが増えて、滞在中、ホテルのそのコーヒーコーナーに行ってコーヒーもらうとき、毎回いくらあげよう、でも、あげなくてもいいんだろうけど、そのおじさんだったら前はあげたのにと思うだろうし、他の人でもどうしようと困ってしまうのである。(笑)

 

ニューヨークに来てたった数時間で、これだけ「人間の領域」に出会う(つまり、一人ひとりと個別の認知プロセスで対応しなくてはならない)と、逆に普段の日本の生活はそういうこと全く考えずにit's automaticだなあ、どっちがいい、悪いじゃなくて、違う方向に進化しているなあと思うのである。