歌舞伎と私

 

(この文章は、2007年に書かれたものです)

 

茂木健一郎

 

 青年時代、私は「西洋かぶれ」で、ヨーロッパの映画や音楽ばかり追いかけていた。日本の伝統芸能については、「時代遅れ」くらいに思っていた。

 大学生の時、カナダからお客さんが来て、歌舞伎座に行きたいと言われた。東銀座に出かけて、生まれて初めて幕見をした。その時の演目が、三代目市川猿之助による『義経千本桜』の「川連法眼館の場」(通称「四の切」)だったことは、今から思うと幸運だったと思う。

 「出たよ!」のかけ声とともに、忠信が思いもかけぬところから飛び出す。自分の親が今は「初音の鼓」になっているので、源九郎狐が忠信に化けて追いかけてきたのである。親を思う心情に打たれた源義経は、狐に鼓を与える。喜んだ狐は、鼓と戯れ、宙を舞いながら去って行く。

 見終わって、ぼんやりと上気してしまった。心から感動した時の私のクセである。今まで見たことがない何かと出会ったような気がした。もう、二十年も前のことである。

 それから、歌舞伎座に通うようになった。学生でお金があまりない頃は、三階の東側の席をねらった。そこからだと、向かいの花道が良く見えるのである。

 最初に出会ったものを追いかける「刷り込み」というではないが、市川猿之助さんのファンになった。特に、「四の切」の宙乗りは十回は見た。「おもだかや!」とおそるおそる声をかけたこともある。

 好きな演目も、『京鹿子娘道成寺』、『助六由縁江戸桜』、『東海道四谷怪談』、『夏祭浪花鑑』、・・・と徐々に増えて行った。ケレンだけでなく、しんみりとした人情ものの良さもわかるようになった。今となっては、歌舞伎座のあの独特な空間に身を浸すことは、人生のかけがえのない楽しみの一つだと思える。

 「歌舞伎の魅力が何か」ということはひと言では尽くせない。奇想天外な筋。目を見張る鮮やかさ。強烈な感情表現。生と死のドラマ。様式美。江戸時代にすでに「宙乗り」や「廻り舞台」といった舞台技術を駆使していた先進性。

 歌舞伎のかくも素晴らしく壮大な宇宙。しかし、そんな難しい理屈を振り回さなくても、気軽に入って楽しめる。そんな魅力をもっと多くの人に知ってもらえたらと思う。

 もし、学生時代のあの日、外国からのお客さんを連れて幕見をしなかったら、どうなっていただろう。私と歌舞伎との出会いは、ずっと遅れていたかもしれない。歌舞伎の楽しさをまだ知らない人は、もったいないと思う。一日も早く出会いを果たして欲しいと思う。

 歌舞伎に触れると、人生が大きく豊かになる。舞台の上で展開される不思議で魅力的な万華鏡が、人間の生の全てを映し出す。