世界を見るということは、映画のようにそのイメージがそのまま「脳の中のスクリーン」に投影されることを意味するのではない。人間の脳は、世界についてさまざまな解釈を抱き、その「果実」を心の中に思い描く風景の中に投影する。同じ景色を見ていても、見る人の脳の違いによって、全く異なる何ものかが映るのである。

 画家は、そのキャンバス上の絵筆の運動によって、自身の世界の見方を観客に伝える。すぐれた絵画に触れることは、時に「大陸の発見」に等しい新世界の感動を私たちに与えてくれる。だからこそ、絵は、人類のかけがえのない共有財産になる。新たな絵画のスタイルが生まれることは、人類の視覚宇宙がその分だけ拡大することを意味するのだ。

 フィンセント・ファン・ゴッホの絵は、私たちに斬新なる宇宙の息吹を伝えてくれる。世界が「ゴッホ以前」と「ゴッホ以降」に二分できるくらいに、 ゴッホの絵は私たちが何気なく見ていた周囲の風景にいきいきとした命を注ぎ込んでくれるのだ。

 多くの天才の例に漏れず、ゴッホは変わった男だった。しばしば、貧しい人たちと同じ境遇に自分を置くことを好んだ。ベルギーの牧師館に身を寄せていた時には、みすぼらしい納屋の藁の上で眠っていた。納屋からは、毎晩ゴッホがすすり泣く声が聞こえたという。家族の反対を押し切って身寄りのない母とその幼い娘と一緒に暮らしたこともある。およそ世間体とか、そのようなものには関心がなかった。

 南フランスのアルルにおける、画家のポール・ゴーギャンとの友情とその決裂に伴う激情のうちに、ゴッホが自分の片耳を切り落としてしまった事件は、あまりにも有名である。この事件の後、ゴッホは自らアルル郊外の精神病院に入る。それから37歳の若さで自ら命を絶つまでの一年余りの間に、ゴッホは後世に長く記憶されるべき数々の傑作を残した。ゴッホの生涯の最後の日々は、美術史にとっての「奇跡の一年」だと言っても良い。

 『星月夜』は、この間に描かれた忘れがたい絵である。自身の病室から見た夜の風景を、昼間の光の下で記憶の中から定着した一枚。無限の宇宙の中に輝く月や星が、地上なる遠景の山、街並み、高く伸びる糸杉と呼応する。万物の内側に宿る生命のその震えと光が、一つながりに溶け合い、流れ、渦巻き、うごめいている。

 評論家の小林秀雄は、「ゴッホの生涯は、その個性とのすさまじいまでの格闘であった」と洞察した。世界に向き合う時、自分自身のユニークな資質が反映されるのは良い。しかし、それだけでは多くの人の心を動かす芸術にはならない。個性があるのは当たり前。問題は、いかにそれを万人に通じる普遍性につなげるか。そのためには、人間や石ころ、草木、風、光、空の間を隔てる「壁」を一度は乗りこえてみなければならない。たとえ、それが精神の危機をもたらすとしても。

 『星月夜』の中で、万物は溶け合い、独自のリズムで動き始めている。まるで、愛し合う二人が身も心も一つになろうとするその静寂のように。

 ゴッホが生涯をかけて求めたもの。それは、人と人、人と万物との、立場や境遇の違いを超えた「触れあい」だったのかもしれない。独我論の神話を超え、精神が本気で「向こう」に行こうとする時にようやく個性の「壁」は溶け、やがて普遍の宇宙が姿を顕す。

『モナ・リザ』に並んだ少年: 西洋絵画の巨匠たち (小学館101ビジュアル新書)より