このエッセイは、こちらのブログの方にも転載しておこうと思いました。


日記のかわりに。

<もの言わぬものへの思い>

 数年前の春、私は渡嘉敷島にいた。島の南西部にある阿波連の白い砂浜に、マルオミナエシの貝殻がたくさん落ちていた。マルオミナエシの貝殻の模様は独特であり、そのひとつ一つが時には山々の頂のように、時には「止」や「山」といった漢字のように、また時には波が砂浜に残していた文様のように見える。貝殻の中には、波に揉まれ、砂に磨耗して模様がすり切れ、その模様の名残を残しているだけのものもあった。
 浜辺を歩く人間にとっては奇妙な模様のついた、一時的な収集の興味を満足させるものに過ぎないマルオミナエシの貝殻の一つ一つは、実はマルオミナエシの一つ一つの個体の「生」の歴史の痕跡である。私たちは、マルオミナエシという貝が、その成長の過程で貝殻の独特の模様を描き上げていく過程を想像することはできても、それをはっきりとつかむことはできない。珊瑚礁の中で幼生として生まれ、懸命に餌を食べ、仲間の多くを失い、波に揺られ、太陽の光を感じ、砂に潜り、異性を求め、やがて何らかの理由で力つき、貝殻のみを残して自らは屍となり、そしてその貝殻が砂浜に打ち上げられ、人間によって発見されるまでのマルオミナエシの生は、決して誰にも知られずに、密やかに行われる。私たちの手元にあるのは、そのようなマルオミナエシの生の痕跡としての貝殻だけである。
 島の美しいサンゴの海の周辺には、様々な「もの言わぬもの」の生が満ちあふれていた。海燕や、ゆったりと飛ぶ蝶、そして、珊瑚礁にすむ名も知らぬ色鮮やかな魚たちーーこれらは、私たち人間の作り上げた「言葉」、そして「歴史」や「文明」といった「流通性」や「操作性」のネットワークに決してのることのない、物言わぬもの、無に等しいものである。もし、大手の資本が、リゾート開発という文明の中で流通することのできる記号をもって乗り込んでくれば、これらもの言わぬものたちは、ひとたまりもなくどこかへ追いやられてしまうであろう。古代のアミニズムの精神がもの言わぬものたちの存在を直感的に感じとっていたとすれば、私たちの「歴史」や「文明」は、これらもの言わぬものたちを切り捨て、人間の間だけで流通する「言葉」のネットワークを構築することから始まったのだ。
 阿波連の美しい浜辺を歩きながら、私はおよそそのようなことを考えていた。
 やがて、島を去る日が来た。船は、汽笛を鳴らすと、ゆっくりと港を出ていった。船が次第に旋回するのを感じながら、私の胸は、渡嘉敷島で見てきた「もの言わぬものたち」への想いでいっぱいだった。少なくとも、その時の私には、彼ら「もの言わぬものたち」は、私たちの文明の中で流通するものと同じように、あるいはそれ以上に価値があるもののように思われたのである。
 船は、那覇港を目指して航行していた。私は、那覇がビルの林立し、車が行き交う、文明の都であることを思い出していた。私は、渡嘉敷島に残してきた「もの言わぬものたち」を思い出しながら、暗然とした気持ちになっていた。その時の私には、人間が操作し、管理することのできる人工物=「言葉」に支えられて運営されている文明に対する違和感が非常に強く感じられていた。 
 船が那覇までの行程の半分ほどを過ぎた頃であろうか。船の後方を振り返った私は、意外なことに気がついた。渡嘉敷島もその一部である慶良間諸島の島影が、水平線の彼方におぼろげながら見えていたからだ。心の中で、「文明」の世界への再突入の準備をしていた私にとって、慶良間諸島の姿がまだ見えていたことは、新鮮な驚きだった。
 それから三十分くらいの航海の様子を、私は忘れることができない。船の前方には、次第に那覇の港が近づいてきていた。大型船、小型船が行き交い、灯台が見え、浮標が点在し、海面にはオイルが浮き、飛行機が上空を飛び、そしてビル群はますます大きく見えてきた。これらのものが、「文明」を構成する「言葉」であることが、その時痛切に私の胸に迫ってきた。好きであれ、嫌いであれ、私たちの文明は、これらの「言葉」、私たちが作り出し、流通させ、操作する「言葉」から成り立っているのである。一方、船の後方には、なつかしい慶良間諸島の島影が見えていた。その姿は、自然が数十億年かけて作り上げてきた豊かで多様な世界、それにも関わらず私たちの「文明」という言葉のネットワークの前では、「もの言わぬもの」、「流通しないもの」であるものたちの世界を象徴していた。その時の私には、那覇と慶良間諸島が代表する二つの世界が、私の乗った船から同時に見えたということは、きわめて意味深いことのように思われたのである。
 船が那覇港に着いても、慶良間諸島は依然として洋上遥か彼方に見え続けていた。私は、「言葉」以前の、「もの言わぬものたち」があふれる世界から、「言葉」が飛び交い、流通するものがあふれる文明の世界へと戻ってきたのである。
 人間にとって、「言葉」とはマルオミナエシの貝殻のようなものだ。「言葉」は、私たちの生の痕跡の、ほんの一部分の、不十分かつ誤謬に満ちた証人に過ぎないのである。それにも関わらず、人間は「言葉」にすがって生きていかざるを得ない。「言葉」という貝殻に、必死になって自分の人生の模様を書いていくしかないのである。
 だが、もの言わぬものたちが存在しないわけではない。
 私は、蟻の様子を見るのが好きだ。蟻が巣をつくっているのを見るとき、その動作の不可思議さが私の心を強くとらえる。今、この特定の場所、特定の時間に、蟻の足の下にある砂の様子や、草を揺する風の動きや、それらを全てを照らしだす太陽の光がどうしてこのような形で世界の中に現れたのか、不思議な感じがする。そのことは、どんなに科学が発達しても決して解くことのできない謎である。
 私の心は、もの言わぬものたちとともにある。

茂木健一郎『生きて死ぬ私』より