日時: 2022/8/2 15:00-17:00

場所: 駒場15号館104教室


タイトル: 生物の新たな理論に向けて (Toward a theory of organism)

話者: 桜田一洋 慶応大学医学部 拡張知能医学講座 教授


Abstract:

生命医科学の知識は、分子や細胞など構成要素の間に見出される普遍的な因果関係から個体というマクロレベルの現象を説明することである。これに対して、臨床上の判断を行うには、マクロ(個体)レベルでの多様で特異的な現象の推移を予測する必要がある。人間には認知限界があり、高次元のデータから規則性を見つけることができない。因果関係という一対一の関係で物事を理解し、メカニズムというモデルで説明しようとするのは人間の認知特性と関係している。しかし、因果関係から健康や病気という非線形の複雑な現象を予測することはできない。これを克服する方法として機械学習や深層学習などのAIを利用することが検討されてきた。例えば教師なしランダムフォレストで求めた症例間の距離を幾何学的に解釈することで、新たな疾患像が観察できる。アトラクターダイナミックスとして病気の発症を、地形図の形で可視化する方法の有用性も見出されてきた。しかし、機械学習や深層学習を用いて行われるパターン識別はデータに依存しており、データの選択によってバイアスが生じるという問題がある。この再現性の問題を克服するため、私はミクロの因果知識と機械学によるマクロの識別を結び付ける理論を開発した。本講演ではまず、これを紹介したい。


因果関係からの説明とパターン識別による予測の二つのモデルには、自然の原理が組み込まれていないという共通の問題がある。つまり、因果やパターンのような可逆性からマクロの不可逆性を結び付けるための理論がないというのが、現在の生命医科学の現状である。生命システムは、非平衡の開放系であり、その変化は不可逆である。この特性を考慮するには、非平衡熱力学の原理を組み込んだモデルが必要である。

Christopher Jarzynskiは、1997年に非平衡状態において、系が行う熱力学的仕事とヘルムホルツの自由エネルギーとの間に成立する方程式を見いだし、Gavin

Crooksは、1999年に非平衡状態における系の状態変化の道筋を予測する揺らぎ定理を見出した。この2つの知見を組み合わせることで、ジェレミー・イングランドは、2015年に熱力学第二法則を拡張し、化学進化の新しいモデルを構築した。しかし、この拡張された熱力学第二法則の生命現象への応用は限定的である。私は生命システムを、内部情報を生成する非線形振動子ととらえ、自然の多様で複雑な時空パターンを振動子の同期と非同期の選択によってモデル化する方法を開発した。このモデルを用いることで、病気の発症、人間の一生、進化という生物の変化を、これまでとは異なる形で説明できることを紹介する。



CV:


桜田一洋 サクラダ カズヒロ


<略歴>

1988年大阪大学大学院理学研究科修士課程修了。同年協和発酵工業(株)入社。東京研究所で創薬研究に従事。その間、京都大学医学部、Salk研究所で客員研究員。2000年に協和発酵東京研究所で再生医療グループを立ち上げ主任研究員に就任。


2004年ドイツSchering社により神戸に新設されたリサーチセンターのセンター長として移籍し、Schering本社コポレート研究幹部会メンバー、日本研究部門統括、ならびに日本シエーリング社の執行役員を務めた。Bayer社とSchering社が合併に伴い、Bayer Schering Pharmaの日本研究部門統括、再生医療本部長、グローバル研究幹部会メンバーならびにバイエル薬品の執行役員リサーチセンター長の役職を務めた。2007年12月末に会社合併に伴う戦略の変更によりリサーチセンターを閉鎖。2008年1月から米国Kleiner Perkins Caufield & Byersの支援を受けてベンチャー企業iZumi

Bio社を設立、最高科学執行責任者を務め、バイエル薬品で開発したヒトiPS細胞技術の移管を実施。


2008年9月よりソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。予測と予防に基づいた個別医療を実現するために、情報科学や数学を融合した新たな生命医科学の枠組みを開拓。2016年4月より理化学研究所医科学イノベーションハブ推進プログラム副プログラムディレクター、2021年4月からは先端データサイエンスプロジェクトのプロジェクトリーダーとして、理化学研究所のバイオバンク、メディカル・データサイエンスの基盤を立ち上げた。


2021年10月からは、慶應義塾大学医学部拡張知能医学講座の教授に就任した。本講座は、医学部・医学研究科および理工学部・理工学研究科が共同して運営する医工連携講座であり、先端的なメディカル・データサイエンスの研究と教育をとおして新たな医療を支える技術ならびに人材の創出を目指している。


1993年に大阪大学から理学博士を授与。


セミナー: 茂木健一郎、池上高志 共催