2021年度開高健ノンフィクション賞選評 

 茂木健一郎

 

 脳を研究する者として、「創造性」の背後にある認知メカニズムについてはいつも考えているが、大切なことの一つは内なる「モンスター」ないしはソクラテスの言う「ダイモン」だと思う。あるいは、ケインズの記した「アニマルスピリット」でもいい。

 すぐれた表現者の中には、得体の知れないものがうごめいている。そうでなければ苦労ばかり多い困難な道を行こうとは思わないだろう。

 候補作のうち、小林元喜さんの『さよなら、野口健』に強いダイモンを感じた。ご本人が小説を書こうと苦闘されており、またつながりの糸口を求めてさまざまな人にアクセスしている。野口健というすぐれた登山家、表現者にいわば対等に対峙している。タイトルの付け方から最後の落とし前の付け方まで、一貫した魂を感じた。作品が一つの「興行」として成立していた。

 小林文乃さんの『カティンの鳥たち』にも静かでひそやかなダイモンを感じた。題材の選び方や、取材のやり方などに表面的に現れる素質の下に、小林さんのよりやっかいな動物精神が潜んでいるはずだ。それをもっと表面に出すやり方もあったのではないかと思う。

 平井美帆さんの『ソ連兵へ差し出された娘たち―証言・満州黒川開拓団』は完成度の高い作品であり、すでに確立したノンフィクションの書き手であることを確信させる。歴史的な事実の掘り起こしとしても、今の時代に問題になっているジェンダーをめぐるさまざまに照射しても、平井さんのような書き手が開高賞を受けられる意義について議論があり、私も同意した。

 しかしながら、私は、最後まで小林元喜さんを推し続けた。最高裁の判決でも、少数意見が記録されることが重要である。芥川賞の熱は、選考会の内紛に近い本気度に支えられているところが大きいと聞く。私は、最終的に平井さんの作品が受賞作としても申し分ないことを認めつつも、少数意見として、小林元喜さん説を記録しておく。

 ノンフィクションは、時代のうごめくダイモンに、作家のダイモンが向き合い、かたちにする行為だと思う。開高健はまさに一生それをやり続けた。自らの絶筆になるとわかっていながら『珠玉』の最後に置いた状況の設定に、開高のダイモンを感じる。

 マリア・カラスの声を初めて聴いた指揮者が驚いてタクトを落としたという都市伝説のように、荒削りでもいいから大きなダイモンとの出会いを開高健ノンフィクション賞は待っている。そして脳科学者として最後に証言したいのは、ダイモンは誰の中にもいるということだ。