昨日、アベプラに田母神俊雄さんがいらして、いろいろ教えていただいた。


 事前に、ツイッターで、「田母神先生、よろしくお願いいたします!」とごあいさつしたら、「あっちがわに行った」とか、「正体が見えた」とか、くだらないツイートがたくさん来て心底がっかりするとともにその人たちの愚かさ、浅薄さを軽蔑した。


 どんなご意見の方でも、相手に対するリスペクトを持つのは当然だ。


 田母神俊雄さんは、第29代航空幕僚長をされたかたで、制服組の実務の感覚を持っている。


 左やリベラルの方からすれば、田母神さんの歴史観は歴史修正主義だとか言うことになるのかもしれないけど、それこそが、私がこのところ指摘している「歴史過剰」の悪弊である。


 「正しい歴史認識」があるという前提が、人間から遠ざける。実際的には役に立たない。


 だからこそ、歴史過剰をやめて、現代の普遍的な価値観に基づいてお互いに向き合おうと私は主張している。


 田母神さんのお話をスタジオで聞いていて、田母神さんの言われる、「自分たちの父や祖父の世代を悪く思うのか」とか、「日本を悪い国と思うのか」という問いは、自衛隊の現場の指揮官として、それでは実務が成り立たないという身体感覚だと理解できた。


 また、田母神さんが、「自分の国に誇りを持つということは、胸にしまって言うことではなくて、ただ、相手が言ってきたら、そのときはじめて反論する」というふうに言われたことも、私にはよく理解できた。


 私は田母神さんと歴史観を必ずしも同じにするものではないが、そのことは、歴史過剰の病気にかかっている人以外にとっては本質的なことではないと思う。


 人間と人間としてリスペクトを持って向き合うこと。それ以上に大切なことがあるか。歴史オタクや歴史過剰は人間を見失っている。


 普遍的価値観に加えて、(戦争はあってはいけないことだが)、兵力や兵站といった戦略論、技術論だったら、ロシアとウクライナのことを考える上でも役にたつと思う。

 歴史過剰はほとんど何の意味も持たない。


 田母神さんが、スタジオで、繰り返し、ロシアの今回の行動はある政治的、実際的な動機に基づくもので、歴史は後付の言い訳に過ぎないと言われていたことに、すぐれた実務家の感覚を感じた。


 それと、これは言うまでもないことだが、田母神さんのように退役された軍人の方に対しては最大限の感謝をもって向き合うのが人間としての常識だと思う。


 米国だったら、スタジオのどこかで誰かがThank you for your serviceと言っていたのではないか。


(クオリア日記)