キラキラネームのこと、ここでも整理しておこうと思う。


 キラキラネームをつける親には教養がないなどと言う人がいるけれども、そうやって批判する人の方が人間としての教養がないと思う。


 親はそれぞれ一生懸命考えて名前をつける。


 子どもはその名前とともに生を享け、育っていく。


 あれこれと言うということは、その子どもが引き受けた身体性、個別性をあれこれ言うことだから、よほど考えた方がいい。


 もともと、漢字に他の音を当てるのは万葉仮名以来の伝統である。


 古事記などは、暴走族の方が夜露死苦とか当て字するのと同じようなやり方で文章をつづっている。


 あと、キラキラネームがキラキラして見えるのはそれが誕生したばかりだからで、つまりは新しい元素のようなもので、月日を減ればだんだん落ち着いた立派なものに変わっていくこともある。


 これらのことを総合的に考えると、いわゆるキラキラネームを批判するのは、人間としての教養が足りない、狭い教養のイメージにとらわれていると私は感じる。


 なによりも、一人ひとりの人生の問題なのだ。


(クオリア日記)