スクールカースト。


 ぼくはこの言葉が嫌いで、この前、古市憲寿さんとclubhouseで話したとき、「スクールカーストとか言っているから、日本の社会学ダメなんだよな」と言ったら、古市さんが、「でも、最初アメリカとかであるでしょう」と言うから、「あっ、そうなの?」と古市が言うからそうなのかもしれないと思ってその時はそのままにした。


 あとで調べたら、「スクールカースト」はやっぱり日本の造語らしく、それに近い英語圏の用語はcliqueらしい。


 cliqueだったらわかる。ロビン・ダンバーとかの猿の行動研究でも出てくるし、価値中立的で、つまり客観的にどうつるんでいるかという集団力学だ。


 そこに、「スクールカースト」とかいう、文化的にも政治的にもめちゃめちゃウェットな用語を持ってくるセンスがわからない。


 英語圏では、そういう時カーストという言葉使わないしょ、と思っていた直感が正しかった。


 全般的に、日本の「社会学」はウェットで情念的で、よく意味がわからない。もっとドライに、客観的に、機能的、操作的にとらえればいいのにと思う。


(クオリア日記)