GPT-3なんかもそうだけど、今の自然言語処理の人工知能で、言葉の「意味」を扱っているものは全くない。
それでいいんだ、という立場もあるだろうし、意味扱わないんじゃダメだろうという立場もある。
昔から、工学者の多くは意味論に対して冷笑的だ。
しかし、自然言語なんてGPT-3的なやり方でいいんだ、みたいな主張は最終的には通らない。
Winograd Schema Challengeのように、ある言葉のビッグデータ中の統計的なふるまいには帰着できない構造を問うアプローチならば、ある程度「意味」に近づくとも言えるが、それでも十分ではない。
言葉の意味は志向的クオリアだから、結局これは心脳問題と等価である。
(クオリア思索日記)