今日、ぼくのコメディ番組「もぎけんのデイリーショー」に「ディーミトリ」という新しいキャラクターがデビューした。


 構想自体は2週間くらい前に走っているときによぎったんだけど、昨日走っているときに「やっぱりやろう」と思ったのだ。


 それで、その中で、「マイルドヤンキー」という言葉を使ったんだけど、コメント欄に、「都会のインテリからの差別的な表現に感じる」というのがあって、どんなコメントもありがたく拝見するけれども、「そうかなあ」と思ってしまった。


 幼稚園の運動会とかでかかっている音楽が「やたらと元気な、アイドルっぽいお兄ちゃんが歌っている風の曲」が多くて、そのクオリアを、「マイルドヤンキー」的と表現して、それで、新キャラのディミートリは(つまりぼくは)あんまりそういう曲好きじゃないな、子どもたちにはそういう曲聞かせておけばいい、という風潮も好きじゃないなあ、もっといい曲があるんじゃないかなあと、異議申し立てをするコメディである。


 なぜコメディになっているかというと、ディーミトリが、国籍とか一切不明なんだけど、幼稚園の運動会とかでああいう感じの曲をかけている日本社会(のおそらくは主流)に対して、少数派の立場からささやかに弱々しく異議申し立てをしているという仕立てになっているからだ。


 つまり、ディーミトリは偉そうではなくて、むしろおどおどびくびくしている、というニュアンスでつくったらコメディとして成立するなあ、と思ったのだ。


 それはそうと、「マイルドヤンキー」が差別的表現だとは、ぼくは今まで思ったことがなかった。

 そういうニュアンスで使う人もいるのかもしれないけど、ぼくはそうではない。


 あと、コメントにあった、「都会のインテリ」というのも、逆にステレオタイプな気がする。


 そもそもインテリの定義はむずかしいけど、思慮深くて趣味も広い、賢明なひとは、都会でも田舎でもどこでもいると思う。


 ケンブリッジとかオックスフォードとか田舎にインテリが大量発生するイギリスのイメージもぼくの背景にあるのかもしれないけど。


 都会のど真ん中にも、クオリア的にマイルドヤンキーは人はいっぱいいると思う。思慮深くない人もたくさんいる。だから、都会とか田舎とか関係ない。


 だから、あくまでも楽曲としてのクオリアの差であって、ぼくはマイルドヤンキーが差別的な表現だとは思ったことが一度もない。


 みなさんはどうお感じになりますか?


 ディミートリがデビューしたスケッチも、一応、下にはっておきます。


 シャイな人なので、あまり「拡散」とかしなくていい感じなのですが(笑)



(クオリア日記)