連続ツイート2567回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


学校が休校していることで、学びが遅れるとか、入試をどうしようとか、いろいろな議論が続いているけれども、やはり、ぼくには、そもそも学校がないと、あるいは授業がないと学びができないという前提がよくわからない。これは、学びの設計をする上で案外本質的なところだと思う。

文科省の検定教科書は、もともとものすごく薄い。それを一年かけてたらたらやっていくわけだけれども、教科書を自分で読んで、自分のペースで勝手に進んでいたら、果たしてどれくらいかかったのか、実験したことはないけれども(今思えばすればよかった)おそらくかなり時間を短縮できたのではないか。


国語の教科書をもらってきたその日に全部読んでしまうというのは多くの人がやっていることで、それくらい読み物としては薄いわけだけど、それを一年かけてやる、という学校側のペース設定に合わせる、という固定観念を子どもたちが植え付けられていることの弊害は、案外大きいと思う。


というのも、これは、単にいわゆる「主要教科」の話だけではないからだ。世の中に学ぶべきことはたくさんある。たとえば、ぼくはアニメをつくったことはないけれども、絵コンテを何百枚、何千枚と描いて、それを動画にしていく上で学ぶべきことは無限にあると思う。それも本当は小中学校で学びたい。


ガレージバンドのようなアプリで音楽をつくることを子どもの頃からやりたいという人もいるだろうし、Unityのような環境でゲームをつくってみたい人もいるだろう。つまり教科というのは無限にあるわけで、今の文科省の学校での学びの「テンポ設定」は明らかにちんたらしすぎで、余計なお世話だと思う。


こう書くと、頭のいい子、自分で学べる子はいいけれども、そうでない子は学校の授業が必要だ、みたいなことを言われる方がいらっしゃるけど、かなりあやしいと思う。むしろ、それぞれの子が、自分の興味のあることを自分のペースで学んでいったら、はっきり言って今の文科省のペース設定より速い。


学校が休校だと学べないとか、学習が「遅れる」とか、そういう問題提起自体が、学校というものを前提にした固定観念であるとしか思えない。ためしに学校をやめてしまって、すべての子どもがホームスクーリングで勝手に自分の好きなことを学ぶ体制にしてみたらいい。そうしたら、その結果に驚くはずだ。


以上、連続ツイート2567回、「学校に縛られない方がかえって自由に速く学べるというのはおそらく真実」をテーマに7つのツイートをお届けしました。

nounandemo
 
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