連続ツイート2484回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


びわ湖ホールでの『神々の黄昏』が、コロナウイルスの影響で無観客上映となり、昨日ライブでストリーミングされた件、見ていて、胸がいっぱいになってしまった。終演後、拍手のない劇場で、歌い手たちや指揮、演出などのスタッフが出てお辞儀をしているのを見て、ほんとうにありがとうと心の中で言った


ワグナーのオペラ、楽劇の映像は数限りなく見ているけれども、何がそんなに特別に感じられるのだろうと思ったら、無観客でのライブストリーミングという状況に加えて、カメラが一つで固定されて舞台全体を映し続けているという状況が、かえって新鮮で、臨場感につながっているのだと気づいた。


演出も、ほぼト書き通りと思われる素直なもので、ワグナー演出というと、社会性や批評性を重視した斬新なものが主流になる中、かえって一回りも二回りもして新鮮だった。最新の映像、プロジェクション技術を用いて舞台が幻想のように美しかった。特にブリュンヒルデの自己犠牲から水が満ちるフィナーレ


びわ湖ホールは、名前の通りびわ湖のほとりにあるけれども、舞台の映像が、まるでディフォルメされたびわ湖の景観のようにも思え、その意味で、現代アートでいうsite-specificな表現のようにも感じられた。歌手たちものびのびと歌っていて、一つの至高の芸術体験であった。


昨日のストリーミングは日本だけでなく、世界の芸術史に残る出来事だったと思う。そして、今日もストリーミングがあるという。それを知ったとき、なんだか胸にこみ上げるものがあった。周知のように、日本では、一つの上演において、キャストが二組用意されることが多い。だから今日もストリーミング。


欧米のスタンダードでは、批評の対象としても確定しないので、キャストは一組であることが多いけれども、日本では、オペラの上演機会がそれほど多くなく、実力を持っていても、主要な役を歌う機会にめぐまれない歌手が多い。結果、一種の「機会シェアリング」として、二組のキャストという習慣がある。


『神々の黄昏』のような超大作を日本で上演する機会はきわめて貴重で、そこで練習を重ね、研鑽を積んで主要な役で歌うということは、実力のある日本の歌手にとってきわめて重要な機会で、オペラ歌手としてのキャリアにおいて、たとえばオリンピック出場に匹敵する大変な経験だと思う。


今回、びわ湖ホールのマネジメントが、以上のようなさまざまな状況に鑑みて、二組のキャストの両日ともストリーミングで無観客上演をする決断をしたことは、日本のオペラという文化の受容、そしてその展開の歴史において、やはり画期的なことだったと改めて思う。


そして、宮崎駿さんや松本零士さんを始め、多くのクリエーターにも多大なインスピレーションを与えてきたワグナーの『ニーベルングの指環』のフィナーレである『神々の黄昏』が、このようなかたちで多くの方々に届くことは、オペラに興味を持つ人を増やすという意味でも、意義深いことだったと感じる。


世間は「コロナ疲れ」であるとも言われる。コロナウイルスの騒ぎ、その対応で、私たちは疲れを感じている。そんな中、無観客という逆境を乗り越え、ストリーミングでオペラの新しい可能性を開いたびわ湖ホールのみなさんの英断に改めて感謝したい。今回の出来事で、芸術の持つ可能性が新たに芽吹いた。


以上、連続ツイート2484回「びわ湖ホールの無観客の『神々の黄昏』ストリーミングが開いた、芸術の新たな可能性」をテーマに、10のツイートをお届けしました。

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