連続ツイート2476回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。
新型コロナウイルスの件、ほとんどの人の体験としては、身近な感染経験や発病よりも、報道の方が先行している感覚だと思う。だからこそ、パンデミックならぬ、infodemicという言い方もされている。しかし、感染拡大の時期には感染者数が指数関数的に増える可能性があるので、油断は禁物である。
今は静かで、何事もないように見えても、クラスターとクラスターがつながってパンデミックに近い状態になれば一気にくる。だから、今、表面上は静かに見えても、警戒をおこたらず、必要な措置や注意を実行していくのがよい。もちろん、その結果大流行に至らなければそれに越したことはない。
新型コロナウイルスがやっかいなのは、それが今回変異した2019-nCoV以外の原因で引き起こされる一般的な風邪の症状と類似の症状から始まるということで、その後の経緯を見なければ、あるいはウイルス検査によらなければ判別がつきにくい。つまり、症状の入り口で、識別の問題が生じる。
また、風邪以外でも、たとえば花粉症などで類似の症状が出ることがあるために、公共の場所で、お互いに誤認や疑心暗鬼がおこりやすい。認知プロセスにさまざまな負荷をかける難しさが、新型コロナウイルスにはある。
さまざまなイベントが中止されていたり、外出を控えるよびかけがなされるなど、どのような行動が許容されて、どのような行動がダメなのか、その判別もきわめて難しい。一般的な「正解」はなく、政府の見解や政策も揺れて、結局一人ひとりが推理して行動するしかない。
もはや、中国などの特定の地域に限定した感染症ではなくなっているから、本来は特定の地域との行き来やそこから来た方々だけをターゲットにして対処しても有効ではなくなっているが、未だに慣性の法則でそのように考える人もいて、結果として差別や偏見につながってしまうこともある。
このように、新型コロナウイルスの流行は、人間の認知プロセスにさまざまな負荷をかけている。当分は、それぞれの人が考え、情報収集し、対処することが脳のかなりの負担になるだろう。その意味で重苦しい日々が続くことは覚悟しなければならない。
一つよい知らせは、この状況はいつか必ず終わる。カミュの『ペスト』が、ある日突然流行が終わる様子を描いているように、新型コロナウイルスもいつかは流行が終わる。その時、私たちは、それまで担っていた認知的負荷から解放されて自由になるだろう。その日を楽しみに、耐えて、対処するしかない。
以上、連続ツイート2476回、「新型コロナウイルスがかける認知的負荷について」をテーマに8つのツイートをお届けしました。