連続ツイート2465回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


東京マラソンの一般参加がなくなってしまって、呆然としている。それで、改めて、私はなぜフルマラソンを走るのだろうと考えたら、それは一種の「健康診断」のようなものなのかもしれないと思った。


一年に一回、あるいはそれ以上の機会に、フルマラソンの距離を走る。それなりに準備をしなくてはいけないし、体重のコントロールもしなければいけないのだけれども、そうやって、当日を迎えて、果たして今年は最後まで走れるかと思う。走り終えて、ああ、今年も走れたと思う。そのよろこびがある。


身体のどこかが調子が悪かったら、走れないし、足などに痛みがあっても、走れない。当日の気象状況やコンディションで、走るのがつらいこともあるけれども、それを乗り越える気力、体力があるか。フルマラソンを走ることは、そのようなセルフチェックでもあるなと思う。


また、フルマラソン大会を開催することは、その都市や組織委員会の方々にとっても、うまく機能しているか、ボランティアの方々がどれくらい集まってくださるかなど、コンディションのチェックになるのかなと思う。いろいろ問題が出てきてしまうと、開催ができなくなってしまう。


今回は、新型コロナウイルスという思わぬ外からの影響で、東京マラソンの一般参加はなくなってしまったけれども、いつも見事な、心のこもった運営で、ああ、これが東京の底力なんだ、日本のあり方なんだと、感謝の気持ちでいっぱいになる。自分の「健康診断」と、社会の健全性が同時にわかる気がする。


3月1日、フルマラソンの距離を走れるかどうかという「健康診断」の機会を失って呆然としているが、東京オリンピックの出場もかかるであろうエリートランナーのみなさんたちの健闘をお祈りしたい。私はまたとぼとぼと日々走って、自分と対話したいと思う。組織委員会の方々、ご対応、おつかれさまです


以上、連続ツイート2465回「東京マラソンの一般参加中止を機に、改めて走ることの意義を考える」をテーマに6つのツイートをお届けしました。

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