連続ツイート2415回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


このところ熱心に聴いているBBC radio 4のSoul MusicのAuld lang syneの回でロバート・バーンズはこの曲を誰かに聴いて書き留めたとか言っているけど、実際にはほとんどが詩人の創作ではないかなどと言っているのを聞いて興味を持って、改めてAuld lang syne(日本で言う『蛍の光』)はいいなと思う。


『蛍の光』の日本語の歌詞は、「蛍の光 窓の雪」で始まるけれども、ロバート・バーンズに由来する原曲の歌詞はI

Should old acquaintance be forgot, and never brought to mind? Should old acquaintance be forgot,

and auld lang syne? で始まる。


Auld lang syneの原曲の歌詞は、「古い友人は忘れ去られてしまって、二度と思い出されなくなってしまっていいのだろうか?」という修辞的な質問(rhetorical question)から始まる。もちろん、忘れ去られていいわけがないわけで、過ぎ去った人、過ぎ去った時を忘れないでいようというのが原曲の趣旨。


日本では、紅白歌合戦の最後に『蛍の光』が歌われるのが恒例で、そのことは英語版のウィキペディアにも紹介されているけれども、英語圏では、カウントダウンして、新年になった後に、過ぎ去った年、二度と戻らない時間をなつかしんでAuld lang syneを歌う。時系列の前後が違う。


日本のレストランや店などで、「そろそろ閉店時間です」という時に『蛍の光』を流すという習慣は英語版のウィキペディアにも出ているけれども、何かが終わったあとで歌うAuld lang syneと、何かが終わろうとする時に終わる『蛍の光』の時間間隔の差は、日本のユニークな感性として興味深い。


Auld lang syneが日本にやってきて『蛍の光』になって、これだけ人口に膾炙しているのはやはり原曲のメロディーの力かと思う。そろそろ一年も終わりである。過ぎ去った時、過ぎ去った人をしばし思い出して、新年を迎えたいと思う。


以上、連続ツイート2415回、「Auld lang syneから、蛍の光へ」をテーマに6つのツイートをお届けしました。

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