連続ツイート2395回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


昨日のウーマンラッシュアワーの漫才を、わたしはたいへん面白くて愉快だと思った。それで、The Manzaiは他のすばらしい漫才もたくさんあったと思うので、それはまたゆっくり見ていきたい。何よりもウーマンラッシュアワーを見たいと思ったのは、それが「特異点」だからだ。


科学者は例外的な事象に興味を持つ。日本の笑いの中であまり行われていないことをウーマンラッシュアワーがやっていたら、それが成立しているのかどうか、お客さんが笑っているかどうかに興味を持つ。社会ネタ時事ネタを批評的にやるのは当たり前のことだと思うけれども、それで笑うかどうかは別だ。


お客さんは笑っていたし、見たぼくも笑った。その笑いの中には勝手知ったる笑いではなく、タブーが破られることに対する会心の笑い、不安を覆い隠すためのカバーの笑いも含まれていたいかもしれないが、とにかくウーマンラッシュアワーでお客さんは笑った。地上波テレビのオンエアとして成立した。


ウーマンラッシュアワーの笑いは、日本における社会実験のようなものだと思う。ふだん見慣れていないものを見て、人はどう反応するか。村本さんはテレビから消えたと言われているようだけど、年に一回ハレー彗星のように現れるそして時事ネタをやって去っていく。その消えた村本さんだが、活動は充実


村本さんの話でぼくが一番うれしかったのは、テレビに出ている時よりも収入はよくなったということで、独演会を重ねる今のスタイルで確実にファン層を育てているということだ。これはブルーオーシャンのイノベーションで、日本の笑い、マインドセットを変えていくきっかけになるかもしれない。


村本さんの出なくなった地上波テレビはもはやメディアの単独王者ではなく、むしろたくさんのクラスター、スペクトラムのそれでも存在感の大きい部分である。しかし文化的なエッジの立ち方からするともっとも極彩色であるわけでもない。村本さんの独演会の現場は必ずあって、そこで育つ生命もある。


5年後、10年後も地上波テレビは存在するだろうし、その経済は回らなくてはならないし、テレビの関係者だってよく生きたいだろうし、いいものをつくりたいだろう。今は独演会で新境地を開いている村本さんが必要とされる時も来るかもしれないが、日本のマインドセットはその時までゆっくり変わって。


以上、連続ツイート2395回「時々彗星のように戻ってくる村本さんの笑いは日本のテレビをX年に変えるか」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。

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