連続ツイート2389回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


昨日、福岡での仕事の前に、映画『i 新聞記者ドキュメント』を見た。何も福岡までいってわざわざ映画を見なくてもいいじゃないかと思われるかもしれないが、とにかく私はこのところスケジュールが詰まっていて、東京では映画を見る時間が確保できなかったのだ。KBSシネマにご縁をいただき、鑑賞した。


森達也さん 

@MoriTatsuyaInfo

 自身が、この映画は左でも右でもない、というようなことを言われていたと思うが、確かにそれが感覚として見終わった時に残る印象だ。この映画が描こうとしたのは「個」であって、だから「i」という文字がつく。集団の中で埋没して組織を守ろうとする人は、「個」がない。


恐ろしいことに、政府の側に立っていろいろなことを守ろうとする人たちから「個」が消えていくだけでなく、政府に反対して運動をしたり主張をしたりする人たちからも「個」が消えていくということが、言葉ではなく画面から立ち上がってくる臨場感から受け止められる。映画の持つ主張は鮮烈だ。


そんな中、望月衣塑子さん 

@ISOKO_MOCHIZUKI

 だけが「個」が立っている。最初から最後まで、お魚さんのようにイキイキしている。他の人は、ほんとうにくすんでみえる。もちろん伊藤さんや前川さんのように、ひとりで活動して主張している人は別だけど他の人はみな灰色に見える。これはどういうことか。


映画の芸術としての本懐は批評性とその隠蔽にある。そんなに簡単にわかる批評性は告発映画であっても芸術ではない。「i 新聞記者ドキュメント」の批評性の向かっている先は、どうも、日本の現状、それも左、右、リベラルと保守という枠を超えた日本の全体的な人間のあり方に向かっている気がする。


やはり、鍵は、望月衣塑子さん 

@ISOKO_MOCHIZUKI

 が「個」としてジャーナリストとして目覚ましい仕事をしているけれど、その仕事は望月さんが「記者クラブメディア」に属していることでようやく可能になっているというダブルバインドな状況。記者クラブは恥ずべき悪弊ですぐにでも廃止すべきだが、


その記者クラブがなければ、望月さんはその仕事ができない。映画としては、ほんとうは、望月さんがフリーランスのジャーナリストで、組織と関係なく活動をしていたらすっきりするのだと思うけれども、そんな仮想なジャンヌ・ダルクは日本には存在し得ない。その限界の中で望月さんはベストを尽くす。


以上は、「i新聞記者ドキュメント」を見て感じた感情の氷山の一角を言語化したに過ぎない。映画は体験で、映画館で見ないと仕方がない。この作品は、本当の意味で人の考え方、行動を変える可能性がある。認知的不協和(cognitive dissonace)に満ちている。それが日本の現状である。映画は鏡なのだ。


以上、連続ツイート2389回「映画『i新聞記者ドキュメント』は認知的不協和に満ちた日本を映す「鏡」である」をテーマに8つのツイートをお届けしました。

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