連続ツイート2385回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


今朝は、「知性はなぜ時に判断保留というかたちで表れるのか」ということを考えたい。AIの若手研究者の方が「中国人を雇わない」とツイートしたことは、ヘイトスピーチであるとか、倫理的にどうかという以前に、認知プロセスとして緻密ではない。緻密さは判断保留と一体である。


ネット上で、しばしば韓国人はこうだ、韓国政府はこうだという言説を見るけれども、これらは倫理的にどうかという以前に、思考として緻密ではない。韓国の方と言ってもいろいろいらっしゃるし、韓国政府の政策だっていろいろあるだろうからである。判断保留するのが緻密で正しい。


ポピュリズムの世界では、判断保留を伴う緻密な思考よりも、スピード感のある粗い思考の方が力を持つように見える場合がある。ネット上で拡散する言説は、緻密に検証される、ましてや判断保留されるというよりは、その思考の粗さゆえに拡散されるのである。


緻密な思考よりも、粗い思考の方がネット上では拡散しやすいというのは、ネットがもたらしたパラドックスの一つであって、人類はだからこそ苦闘しているのかなとも思う。しかし、ウィリアム・ジェームズ的な意識の流れから見たら、粗い思考に支配されている経験時間はお粗末で悲しい。


どうせ生きるならば、先日東浩紀さん(ツイッターカムバック!)も言っていたけれど、よりよく生きる、よりよい人間になるのがいいんじゃないか。粗い思考に支配されている経験時間は、村上春樹さんがかつて言った「安酒に酔っている」状態であって、あまりにも悲しい。


以上、連続ツイート2385回「粗い思考に支配されている時間は、安酒に酔っているようで、あまりに悲しい」をテーマに5つのツイートをお届けしました。

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