連続ツイート2383回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


先日、東浩紀さんにゲンロンカフェでお目にかかったとき、東さんがツイッターをやめてしまわれたことが話題になった。ツイッターについてはいろいろな考え方があるのだと思う。人生でやるべきさまざまなことと比べて、「ツイッターをやっている場合じゃない」というような気持ちもわからなくはない。


ツイッターのようなSNSは、どのように考えるべきだろうか。ぼくは、ツイッターは現代における「雑談」だと思う。そこにはさまざまな話題が登場し、思わぬリアクションがある。いろいろな人と出会う。つまり、日常の中で行われてきた雑談が、ネットワークの上でかたちを変えて行われているのだと思う。


雑談は大切である。もちろん、一日中雑談だけというのでは困る。一方、雑談なしで本質的な仕事だけというのも息が詰まる。脳にとっては、雑談のもたらす偶有性がちょうどよい栄養になり、また発展のきっかけになるのであって、ツイッターの上でのやりとりはそのような雑談の機会を与えているのだと思う


ぼく自身、ツイッターは息継ぎのようなものだと考えていて、仕事をしていたり、集中して潜っていたりして、水面に浮上したとき、TLを見たり、書き込んだりしている。ツイッターを見ると、現代のさまざまな動きについていろいろな人が書き込んでいて、読んでいるといい感じの雑談になる。


ツイッターのようなSNSに、どれくらいの時間を費やせばいいのか、それは無駄な時間なのかと悩んだり考えたりする人は多いと思うけれども、「雑談」というメタファーでとらえると、その意義やバランスがわかりやすいと思う。それは本質ではない。しかし、脳がいきいきと活動するために必要である。


東浩紀さんはツイッターをやめられてしまったけれども、認証アカウントの記録は一年は残っているということなので、いつか、近いうちに、東さんがツイッターの雑談の場に登場されることを個人的には期待する。東さんがいないツイッターのTLはさびしい。東さんの雑談がみたいなあと思う。


以上、連続ツイート2383回「ツイッターは脳に栄養を与える雑談の場である」をテーマに6つのツイートをお届けしました。

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