ぼくが小説『フレンチ・イグジット』を書いたのは、誰かがいつの間にかいなくなっているというメタファーに惹きつけられたからだ。


 昨日雪のない東京で10キロ走っていたとき、ふと、そういえば、途中にある児童公園に、ときどきにこにこ笑っているおばあさまがいらしていて、樹によりかかるように公園で遊んでいる子どもたちを見ていらしたなと思い出した。


 とてもやさしい表情をした方で、慈愛そのものが人間の姿をとって現れたような気がした。


 そのおばあさまを、最近拝見していない気がする。


 2、3年は姿を見ていないと気づいた。


 走る時間帯にもよるのだろうし、引っ越しをされたりしたのかもしれないけれども、とにかくどこのどなたかわからないので、調べようもない。


 あるいは……。


 そのおばあさまのすがたを思い出しながら、「フレンチ・イグジット」のことを考えた。


(クオリア日記)