連続ツイート2368回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


日本の「風土病」とも言える偏差値。どこかの高校とか大学に行く用事があって、検索するとまっさきに検索キーワードとして「学校名 偏差値」と出る社会はまさに異常で、もういい加減そういう日本を変えた方がいいと思う。偏差値は人の評価として不適切なだけでなく、さまざまな弊害をもたらしている。


偏差値の弊害の最大のものは、子どもたちの心にいわれのない劣等感を植え付けるということだ。小学校4年生くらいから始まる日本的受験戦争、塾通いは子どもたちの脳時間の無駄なのでいい加減やめたほうがいいが、その中で、あいつは偏差値いくつだ、ぼくはいくつだと洗脳されてその結果劣等感を持つ。


ほんとうは、人工知能の時代にチマチマ小問積み上げの小さく前にならえペーパーテストなんてコモディティ化して無意味なのに、何しろ塾が偏差値だなんだと洗脳するから、かわいそうに子どもたちはああ、私は偏差値いくつの人間なんだと、陳腐な劣等感を植え付けられてしまう。なんと罪深いことだろう。


ほんとうは人間の能力は多様で、種目とか課題は100も1000も10000もある。それが、ペーパーテストの点数という愚かな大人たちが勝手に決めたくだらない指標で偏差値を計算されてそれが子どもたちの心に劣等感を植え付ける。その結果自分の個性を追究するというのびのびとした心が失われる。


逆もある。偏差値がたまたま高い子どもたちは、ほんとうはペーパーテストのチマチマ小問積み上げが得意なだけなのに私は才能があるんだ、非凡なんだと無意味な優越感を持つ。中高一貫校から東大に行ったような人の中にほんとうは凡庸なのに自分のことを賢いと勘違いしている人をかなりの確率で見出す。


結局、世界がポストAI、破壊的イノベーション、個性的な創造の方向に動いている時代に、日本は相変わらずチマチマした偏差値という無意味な指標を大人たちが振りかざし、一方では劣等感を植え付け、一方では根拠なき優越感を与える。こんなに罪深くて無意味なことがあるだろうか。


資源のない日本にとって、唯一の資源は日本人の脳である。妖怪偏差値をそろそろ退治して、自由で多様な世界に移行しないと、機会費用は莫大なものになる。まずは、偏差値を振りかざして子どもたちを抑圧しているバカな大人たちが、自分たちを恥じて大いに反省すべきだろう。


以上、連続ツイート2368回、「そろそろ妖怪偏差値を退治して、愚かな大人たちによる子どもたちの洗脳を終わらせよう」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。

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