連続ツイート2365回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


大学入試における英語民間試験が延期になった。2024年から実施との報道があるが、実質、廃案ということでいいのかなと思う。youtubeなどでも話したけれども、書く、話すという能力を育むことはよいことだけれども、それを大量受験のテストで計測しようという発想が間違っている。


日本の大学入試の根本的な問題点は、受験生の話す、書くの能力を評価、選抜する能力もリソースも大学側にないことで、もし話す能力を本格的に評価しようとしたら、長い時間をかけたインタビューをしなければならない。しかし、それをする能力も時間的余裕も大学側にはないだろう。


結局、今回の英語民間試験騒動は、本来、もっと人とリソースをかけて育み、評価すべき、英語を話す、書くという能力を、小問積み上げのちまちましたテストで代替しようとしたアプローチの間違い、ボタンのかけちがえにある。そのようなやり方では、必要な学力は絶対に身につかない。


同じことは、大学入学共通テスト(仮称)の記述式の問題についても言える。もし、例えば日本語で記述する能力を見るとしたら、ある程度の尺のある文章で、その人の考えを展開させるしかない。そして、その評価も、個別性や非典型性を含めた総合力を人的、時間的リソースをかけてやるしかない。


人的、時間的リソースをかけずに、大量受験、大量採点の記述的テストで、自分の考えを表現する学力を見ようとするアプローチがそもそも方法論として間違っている。英語民間共通テストと同様、大学入学共通テストの記述式問題もまた、そもそもの考え違い、安易な代替主義の産物だと私は考える。


日本の教育、大学入試を根本的に変えようとしたら、英語民間試験や記述式問題のような小手先のチマチマした変化ではなくて、人的、時間的リソースをかけて、子どもたちの表現する能力をたっぷりと展開するような改革をしないと無理である。諸外国ではすでにやっているんだから、できないはずがない。


Show and tellとか、drama education とか、essay writingとか、諸外国では当たり前にやっている教育を関係者を派遣して体験させて学んで輸入すればいい。明治の先人たちはやったことだ。それをせずに、日本の風土病とも言える小問チマチマ積み上げ主義のテストの点数信仰に固執したらとても無理である


書いたり、話したりして、自分の考えを表現する能力は、個別性、非典型性を評価するのでなければ育めない。小問積み上げ式のチマチマしたテストは害悪でしかない。


書いたり、話したりして、自分の考えを表現する能力は、個別性、非典型性を評価するのでなければ育めない。小問積み上げ式のチマチマしたテストは害悪でしかない。英語民間試験に続いて、記述式問題もやめたらいい。それが受験生ファースト。



以上、連続ツイート2365回「英語民間試験に続いて、記述式問題もやめたらいい。それが受験生ファースト」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。



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